④ 頂相の研究_京都願成寺蔵仏通禅師画像を中心として一研究者:仙台市博物館学芸員樋口智之我国禅宗寺院の代表的存在である東福寺,およびその塔頭には,13世紀後半から14世紀にかけての頂相が少なからず伝存する。禅宗文化の渡来,定着期における頂相制作の有様を知るうえで,東福寺の作品群を無視することはできない。しかし,これらの作品群の研究はいまだ十分とはいえない。そこで本研究では,東福寺の頂相制作の様子を史料,および遺品の調査を通じて明らかにしようとしてきた。ここでは東福寺の塔頭,願成寺の所蔵する仏通禅師擬冗大慧の画像を中心に述べる(注1)。この画像はユニークな特徴をいくつか持ち,それは制作者の頂相というものに対する知識の豊富さを感じさせるものであるが,こうした知識は,擬冗大慧の師である円爾弁円の時代から本格的に蓄積され始めたものである。そこで後半では円爾の自賛像についてみながら,東福寺で頂相制作が活発化していく様子の一端をうかがうことにする。仏通禅師擬冗大慧像は縦111cm,横53cmの画絹,ー副一鋪に描かれる。像容は,左斜め(向かって右)を向き,法被を掛けた曲条に座す。納衣の上に袈裟を渚け,右手に竹箆を持ち,左手は膝に添える。足元には沓床があり,その上に沓が並べられている。画面上部に正安3年(1301)の自賛を有し,鎌倉後期の頂相の貴重な遺例である。本画像は無準師範像(嘉煕2年(1238)自賛,東福寺蔵)と,手や衣,曲条,沓床などの部分の形が類似することから,制作にあたって無準像が手本とされていたであろうことが指摘されている(注2)。確かに両手の形,納衣の形,衣文線の流れ,曲条とそこに掛けられた法被,法被を曲泉に結びつけた紐の形などよく真似ている。衣文線の肥痩までならっている。このように療几像の作者は無準像を手本として制作にあたっているのであるが,こうした行為の先例は無いわけではない。大徳寺の南浦紹明像(正応元年(1288)自賛)は,南浦紹明が法を嗣いだ虚堂智愚より与えられた虚堂自賛像の形にならって制作されており,虚堂になぞらえることで,後継者たる南浦の禅風を具体化しようとする制作者の意図のあることが指摘されている(注3)。擬冗像の場合もこれに類似する意図があるように思われるが,無準像を請来した円爾自身の自賛像には,今のところ無準-40-
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