⑬ 御用絵師狩野派の研究研究者:群馬県立女子大学教授榊原表題のテーマで平成八年度の研究助成を受けたが,平成九年四月二十日その成果として「狩野晴川院筆『四季耕作図屏風』について一御用絵師の仕事一」を,野村美術館の『研究紀要』第6号に発表した。よってここではその概略を述べ,助成の報告書としたい。御用絵師の仕事-『四季耕作図屏風』の場合一研究対象として江戸幕府の御用絵師狩野晴川院養信(1796■1846)筆の『四季耕作図屏風』(〔図1〕サントリー美術館蔵)を取上げた。まずは問題の『四季耕作図屏風』の概要を記しておこう。紙本著色,六曲一双。各隻の法量は縦138.4X横322.0センチメートル。金雲に使われた金箔は一辺11.2センチと比較的大きい。さらに金雲には青金,赤金の砂子も用いられ,画面の金の輝きには複雑な階調がつけられている。遠山,土波の緑青,桜花や梅花,雪山の胡粉,色づいた紅葉の朱と,彩色に使われた顔料はそれ程多くはないが,いずれも良質で,しかも保存状態は極上。まさしくいま描いたかと見まごうばかりである。その派手な味わいは,後にいま一度触れるが,いかにも婚礼調度の屏風に相応しい。各隻,落款は“晴川法眼養信筆”と記し,「會心斎」の朱文方印を捺す。図は,右隻に帆船や筏流しが遠く望まれる農村の春から初夏にかけての農事を,左隻に実りの秋の農作業が描かれている。春の浸種から始まり,田起こし,代掻き,田植え,そして稲刈り,脱穀,籾摺り,米掲きと,季節を追って米作りの作業ば忙しいが,それらが六曲一双の大画面に過不足なく写されている。図様構成は両隻を通じて実にバランスがよい。後述する理由から,図が文政八年(1825)の筆になることは疑いない。時に晴)1|院三十歳。彼がすでに並々ならぬ画オを示していたことは疑いない。問題は,こうした作品を晴川院が如何にして描いたかである。その作画手法をこそ問わねばなるまい。と云うのも本図の左隻,右より第五扇,相生いの松の下で水を汲む母子の図様が,『融通念仏縁起絵巻』(清涼寺蔵)下巻第七段に登場する母子の図様〔図2〕から取られていることが,すでに指摘されているからである(注1)。両者は悟-487-
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