鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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うか。当然の疑問であろう。その点を考える上で注目すべきは,右隻第二扇の天秤棒で昼食を運ぶ母子〔図9〕である。この若い母親のふくよかな顔立ちは,むしろ子を産んで一層美しくなったようだ。その彼女がふと左方を振り返る。云うまでもなく手をつないだ我が子が,庭で独楽遊びをするお兄ちゃんたちを指さして何か言ったからなのだろう。この子供の何気ない動作が,母子の姿をこの場の中に溶け込ませるのに実に効果的だ。そう云えば彼女が昼食を運ぶのも,藁葺き屋根の中で食事する中年夫婦の姿に呼応してのことだと云えなくもない。時はまさしくお昼どきと云うわけだ。が,いずれにせよ,この母子の姿は,この場所に文字通り描かれるべくして描かれた,と云えるのではないだろうか。となれば,この母子の図様は晴川院のオリジナルと考えるのが普通であろう。ところが,あに図らんや,この図様にも典拠があったのである。伝梁階筆「耕織図巻」の二転すなわち二番草取りに描かれた母子の図様〔図10]が,それである。だが,そこでの図様そのままではない。図様の左右を反転させ,互いに見つめ合っていた母子のうち母親の視線を子の指さす方向に向けさせたのである。敢えて云えば,晴川院の行なったのはこれだけである。が,このわずかな改変によって,この母子と独楽遊びをする子供たちとの緊張関係が生まれ,それがひいては,この典拠ある図様をこの情景の中に全く異和感なく溶け込ませることを可能にさせた最大の要因であった。もう一つ例を挙げよう。いま述べた母子の後に,戸口から半身をのぞかせた娘がいる。彼女の図様の典拠が清涼寺本『融通念仏縁起絵』にあることは,すでに述べた。が,二つの図様を較べると実は微妙な点で異なる。清涼寺本の彼女が右手で板戸をつかんでいるのに対し,本図では彼女は明らかに往還に向けて手を差し出して誰かに声をかけているように見える。晴川院はここでも,それと気付かない程ではあるが,図様の改変を行なっているのだ。そしてその差し出した手の先には…。物売りの女であろうか。頭に大根と魚を入れた籠を載せた女がいる。戸口の娘はこの物売りの女に声をかけていたのだ。そしてこの物売りの女にも典拠があって,『福富草紙』から図様〔図8〕を借用していることも,すでに述べた。見逃してならないのは,ここでも図様の改変が行なわれている点である。『福富草紙』の女が前方を,屁を放りながら踊る秀武を見つめていたのに対し,ここでは左方を振り返っているのである。戸口の娘に声をかけられたからに他なるまい。そしてごくわずかではあるが,これら一連の図様の改変か実に効果的であることは云うまでもあるまい。-490-

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