これが晴川院の作画手法であったのだ。つまり古画学習ーすなわち模写を通じて画壼の肥しとした図様を,その制作に応じて適宜取り出し組合わせ,それぞれの場面に応じて最も効果的に改変して利用すること,これである。文字通り粉本による制作そのものと云ってよいだろう。そして従来,我々はこうした制作を“粉本主義”の名のもとに一方的に非難してきた。曰く“伝統墨守”,日<“形式主義”,曰く“その作品は魅力に乏しい”と。だが,本図で見る限り,筆者は,粉本が実に効果的に使われ,誠に魅力ある作品に仕上っている,と思うのだが,それはあまりに独り善がりな見方であろうか。否,断じて否である。と云うより,おそらくは何事によらず先例を重んじ,典拠を求められたに違いない御用絵師にとって,“粉本”による制作はおそらく当然ではなかったろうか。そして本図で見る限り,晴川院はその最高の答えを出した,と評してよいだろう。“粉本”および“粉本主義”は,それ自体,決して非難されるべきものではなかったのだ。しかし,我々が使う“粉本主義”の語には,すでにその言葉のうちに,非難すべき対象との意味を込めた一定の価値判断を含んでいる。よって筆者は今後,こうした先行作品からの図様の借用に基づく制作手法を図様に典拠を求めるとの意を込めて“典拠主義”と呼んで,むしろその制作における積極的側面を評価したい。要は“粉本”をどう使うのか,問題はその一点に尽きる。では,こうした“典拠主義”の手法によって制作された本図は,一体,如何なる経緯を経て完成されたのであろうか。さらに見ていこう。ところで,ここまで敢えて触れなかったが,実はこの『四季耕作図屏風』の裏面には,かつては同じ晴川院の手にかかる『岩浪図』があった。現在では保存のためもあって別仕立ての屏風に改装されている。その概要は次の通り。『岩浪図屏風』岩を食む波濤をテーマとするが,力強さに欠け,やや散漫に失した嫌いがあるのは否めまい。が,この『岩浪図」の存在に注目した松原茂氏によって,『四季耕作図屏風』か,晴川院の『公用日記』文政八年(1825)十月十三日の条の記事,六曲一双紙本金地墨画各隻落款「晴川法眼筆」印章「養信」朱文方印サントリー美術館蔵138. 3 X 321. 6 -491-
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