御引移御用晴川認御中屏風大和耕作雲金砂子泥引一双裏無地金岩浪墨画右出来御細工頭文通今月差出了に見出せる「大和耕作」に該当する,との指摘がなされるに至った(注2)。まことに卓見と云うべきで,表裏の画題,材質,技法などが一致することから,この松原氏の見解に疑問の余地は全くない。すなわち,この日,完成された『四季耕作図』と『岩浪図』が,表装のため御細工頭のもとへ差し出されたことが分かる。翌月の十一月二十七日にさし逼った盛姫の御引移り(婚礼)に間に合わせるためである。お役目を果たし,御用絵師,晴川院もひとまずほっとしたことだろう。時に晴川院三十歳。なお,父伊川院栄信(1755■1828)のもとにあったが,画家としてすでに一家をなして活躍していたことは,何より本図か物語る。ところで晴川院の『公用日記』は,掲出した一条以外にも,盛姫御引移りに伴なう絵事御用について述べている。すなわちその文政七年(1824)十一月十二日の条に,一去ル朔日増山河内守殿5御右筆彦太郎を以て法印江御渡し,盛姫君様御引移御用御掛物御屏風,絵様も御先格之通り二而何れ可伺筆者付いたし可差出旨被仰渡御細工頭6出候書面請取了右書面今月筆者付致し持参盛姫君様御引移御用一御掛物二通二幅対浪鷹三幅対中痔老人左右山水一御屏風九双大一双三保之富士同断紅葉賀同断絵合胡蝶同断藤の裏葉中一双唐耕作同断花鳥御腰屏風一双子ノ日若葉伊川院祐清内記桂舟晴川晴川洞益探信-492-
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