注ない。しかし,こうした中,とにもかくにも晴川院は下命のあった作品すべてを完成した。しかもその中の一点,奥御用の「瀧登鯉・波に遊鯉図」二幅対は,瀧の描写が素晴しいと称賛され,同様の作品をもう一通り描くことを需められている(+月廿九日の条)。まことに「御用絵師」冥利に尽きるエピソードと云えようか。だがこれが決して過褒でないことは,この二幅対と同時期に制作されたサントリー美術館本『四季耕作図屏風』の素晴しさを見れば,自ずから明らかであろう。『四季耕作図』は,まさしく「御用絵師」狩野晴川院を代表する作の一つであった。以上,サントリー美術館本『四季耕作図屏風』を取り上げ,「御用絵師」の重要な仕事の一つ“御引移り御用”(婚礼用調度の制作)について概略跡付けてみた。今後はさらに別の用向きにおける御用絵師の仕事についても究明していくべきだろう。なお小稿は,冒頭でも述べたように既発表の論文の要約である。紙幅の都合で『公用日記』の記事の一々については掲出できなかった。詳しくは当該論考に収載してあるため,さらに興味ある向きは,これをご参照していただきたい。(1) 松原茂「狩野晴川院の業績」『狩野晴川院の全貌』展カタログ(板橋区立美術館)平成七年(2) 松原氏前掲(注l)論考(3) 片桐弥生「狩野晴川院の源氏絵屏風一法然寺本を中心に」武田恒夫先生古稀記念会編『美術史の断面』(消文堂)所収平成七年(4) 松原茂「奥絵師狩野晴川院ー「公用日記」に見るその活動」『東京国立博物館紀要』17号昭和五十七年-496-
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