鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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この点に関連して興味深く思われるのが,擬冗と同門の人々の肖像,無関普門自賛像(天授庵蔵),山曳慧雲自賛像(正覚庵蔵),そして紙形ではあるが白雲慧暁像(栗棘庵蔵)などの面貌表現である。これらは擬冗像のように激しい表情ではないが,整うことを嫌うがごとく,非常に個性の強い容貌に表現されている。特に今回調査した作品の一つ,無関普門自賛像の面貌表現を取り上げてみると,目は上瞼が重く覆いかぶさるように表され,目頭付近では上瞼の線が二重になるなど特異な表現が見られる。また瞳は両方とも外側にそれる斜視のようであり,そして耳は異様なほど大きく表されている。これらの特徴は龍吟庵の木彫無関普門坐像にも基本的には見られるが,擬冗の場合と同様に,画像の方がこれらの特徴を強調している感がある。禅宗肖像画のリアリズムの理解の仕方として,禅宗においてはその厳しい宗風から,けっして理想化はされず,個性をありのままに写実する描写が求められた,というとらえ方がなされるが,これらの画像を見ていると,ただありのままに表すという消極的な表現意図よりも,常人にはない強烈な個性を表すという積極的な表現意図の存在を思わざるをえない。無関の場合,『無関和尚塔銘』(1400年椿庭海痔撰述,以下『塔銘』)に無関の容貌を評して「眼三角而重瞳」と記される(注4)。この「重瞳」とは人並みすぐれた人物の相と考えられていて,中国太古の帝王舜や,楚の項羽,あるいは天台大師などがこの「重瞳」だったという伝説が古くからあった。「重瞳」は辞典などによれば目のなかに瞳が二つあるものとされる。無関像の目には,瞳が一つずつしか描かれておらず,『塔銘』の記事が画像とどう対応するのか,判然としない。しかし『塔銘』の撰者が,無関の特徴ある目を,すぐれた人物の相「重瞳」と結びつけて解釈していることはわかる。『塔銘』は後世の記録で,あくまで参考にしかならないが,常人とは異なる容貌の特徴がむしろ人並みすぐれた人物の相として,積極的に評価されることは往々にしてあることであり,このことは円爾の弟子たちの肖像に,これだけ個性の強調が見られることを理解するために,なにがしかのヒントを与えてくれるように思われる。さて,一方,画面上部の自賛にも,注目すべき内容が含まれている。自賛は「白翁現在八旬齢/父母未生如是形/父母已生如是鉢/要知端的歿魂霊/性印庵主葛予頂相/来請自讃不能辞退/正安三年五月一日/直筆書之安養住持(花押)」とあるが,この第4句の「要知端的歿魂霊」は明らかに擬冗の師である円爾の遺偽の文言を承けている。す-43 -

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