外注が対応するのは直接的に「対象物」の修復処置のみで,その物が置かれる周辺の環境に保存対策を講ずることは殆ど不可能である。実のところ,機関の職員でない限り,24時間要求される収蔵庫や展示室の温度湿度,照明などの施設設備の責任ある対応は不可能である。しかし多くの施設設備担当者は欧米では修復保存部門と同じ技術部門の中に不可欠な業務として,専門性が位置付けられているが,わが国の国立機関では技官でありながらも行政官として就業しており,自動的に数年で機関移動してしまうので,美術館の施設設備が美術品の保存に重要な環境として整備されることはない。勿論現状では彼らの美術館という文化施設に対する認識を高めるために行政組織の法制度が障害となっている。更に大半の管理者は「まずは博物館などの施設に収容してしまえば安心である」という楽天的な認識不足あるいは怠惰から無策を導いている点である。学芸貝の誤解や無作為は美術館を美術品の墓場にしてしまう恐れがある。修復保存に関する見識がないのみならず,美術品の成り立ちである素材や,製法や技法の歴史的流れ,意味に興味を持っていない。直接の歴史の証言である「物」の存在から始まる美術史を基本的に理解していないか,興味を持っていないのである。従って収蔵庫で劣化損傷している「物」を観察することもなく,それを修復に回すこともない。彼らには業務に従事してから,海外の先端事情などに触れられる能力は基本として備わっているはずである。だから知識がないのではなく,意識がないのである。つまり美術館の活動機能の現状を左右する学芸員の専門性が生かされていない現状に「修復保存部門の役割」を見いだすことは困難である。学芸員が主たる業務として展覧会企画ばかりを行い,博物館学で示されているような多様な基本業務を怠っている限り,美術品の保護について美術館内部から議論は起きない。中には,美術館に修復家がいると,「展覧会への美術品貸出に反対するから居ない方がよい」「美術品は展示するためにある。壊れたら(外の修復家に)直させれば良い」と考えている国立美術館の学芸員もいることは,国際的な常識に無知であると言うだけでは済まされない。そこにはわが国の社会問題であると言いたくなるような,旧来の秩序にしがみついて自分達の権限を保持しようとする保守主義が見える。唯一,修復家を組織内部に取り込んだ国立西洋美術館の当初の目的は,これも展覧会対策で,海外より美術品を拝借する上で不可欠の点検や保存環境管理を行うことと所蔵品の修復が,考えられる限りの狙いであった。-511-
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