鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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遠近感が表されるのではなく,上下の位置関係によって遠近感が表現されているのである。古墳壁画において,一部の人物や鳥獣群が平面的に並べられているが,これは奥行きというものではない。例えば大阪高井田横穴群の人物窟における人物の配列では,大きさや上下関係による奥行きの表現は見られない。ただ一列に並べられた人物も一部に見られることから,地面の意織はあり,しかも遠近表現もあったようである。福島泉崎横穴中の人物画はそうした例である。竹原古墳壁画では,樹木が前景で,人と馬が後景となっており,上方の1匹の馬は更にその奥にあるためわずかに大きく描かれている。清戸迫76号横穴の人物・鹿・馬の絵においては,上方のものが奥で下方のものが手前であるのは明らかであるが,二人の人物が大きく描かれすぎているため,明らかに何らかの非人間的な意味合いがあるようだ。王塚古墳の壁画では,立っている二匹の馬と三匹の馬は下方にあるものが手前で,上方にあるものが奥であり,しかも大きさはいずれも同じである。日本の原始絵画においては,すでに奥行きを表現する方法があったものの,まだ一般的には受け入れられておらず,普及していなかったということができよう。奥行きを表現する方法としては,絵の位置関係・外形・大きさ等が挙げられる(まだはっきりとした例が見られないものも含む)。欽明七年(538年),仏教が百済から初めて日本に伝えられた。その後,仏教絵画が大量に流入するのに伴って,日本絵画は仏教絵画と融合しつつ,両者はお互いに発展していくことになった。飛鳥,奈良時代の絵画は大陸の仏教絵画を受容したが,遠近法についても同様であった。現存する最古の絵画遺品である天寿国繍帳(622年)は,浄土信仰にもとづき聖徳太子が没後往生した極楽浄土を表わすことをその内容としている。左上隅に描かれたほとんど図案化された極楽浄土の文様を除くと,画面中央には浄土と人間界が描かれており,鐘楼・家屋・宝池蓮花・人物等の絵が見られる。人物では宮廷の人々がいたり,俗人・僧侶・天人が見られたりする。ここでは異時同図法が採られており,下方が人間界で,上方が浄土となっている。人間界の建築は下方のものが手前で上方の物が奥となっている。浄土におけるどの場面でも人物の大きさはほぼ同じで,上方のものが奥で下方の物が手前となっており,数十人の人物が整然と表現されている。日本絵画における奥行きの表現はすでに完全に大陸と軌を一にしたということができよう。法隆寺玉虫厨子の須弥座に描かれた捨身施虎図,高松塚古-525-

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