⑤ 1910年代末から1920年代前半のフランスにおける批評の文脈とマチスの芸術2)。レオンス・ローザンベール,ポール・ギヨーム,ベルネイム=ジュヌといった画研究者:お茶の水女子大学文教育学部助教授天野知香マチスのいわゆる第一次ニース時代(1916-1930年)は,その後のマチスの評価・研究において,もっとも軽視されてきた時代である。造形的な分析が優先されてきたマチス研究において,陰影や肉付けなど伝統的な手法や主題が認められる20年代の造形は,単に実験性の失われた,保守的な緊張緩和,休息の時期とみなされてきた。近年における第一次大戦後の社会的な時代状況を考慮に入れたフランス美術研究の高まりにおいても(注1)'マチスに関する言及は極めて限定されており,マチスの作品の分析と時代の文脈との接点が十分に見いだされないまま今日に至っている。本論ではマチスの20年代の変化に内在する意味,とりわけ多くの「オダリスク」に代表される女性人物像に向かった画家の意図と意味を,20年代前半を中心としたマチスを取り巻く批評の文脈と作品を通して理解することを試みる。第一次大戦後のフランス第一次大戦後,フランスの造形芸術をめぐる状況はそれ以前とはさまぎまな変化を示していた。大戦前に登場したフォーヴィスムやキュビスムの画家たちは,大戦中ドイツ人のダニエル・アンリ・カーンワイラーにとってかわってキュビスムを支えたレオンスとポールのローザンベール兄弟,ドランやエコール・ド・パリなど広い範囲の芸術を扱った新進のポール・ギヨーム,あるいは戦前からマチスと契約を結んでいたベルネーム=ジュヌといった画商の活躍で安定した地位を手に入れる一方,アカデミスムの衰退は批評の場のみならず市場の場においても明らかなものとなっていた(注廊はそれぞれプロモーションの媒体としての雑誌を持ち,展覧会活動に加えて批評を通しても積板的に芸術の方向づけに参与していた(注3)。一方戦前のいわゆる前衛たちの芸術そのものも,それを取り巻く状況とともに大きく変化していた。第一次世界大戦という未曾有の近代戦による大殺数を経験したフランスは,愛国心の更なる称揚とともに秩序への回帰と人間性の回復を歌い上げた。こうした時代の雰囲気は,フランスの伝統に結びつく古典的造形への回帰をうながし,主題の上では祖国の風景や,具象的な人物像が多く描かれ,美しい室内とそこでのくつろぎといった,-47-
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