鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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への回帰が起こって,ふたたびシンプルな様式や技法が好んで行なわれるようになる。したがって,ある特定のジャンルや技法に注目したときは,確かにシンプリシティーから複雑性への展開がたどれることになるが,全体として見れば,シンプリシティーが保たれているといってよいのである。限られた時間のなかで,近代洋画のすべてにわたって過不足なく論じることはできない。そこで黒田清輝の場合を取り上げることにする。黒田を取り上げたのは,「日本近代洋画の父」と称されるように,明治の洋画界においてきわめて重要な役割を果したからである。その後の洋画に,決定的影響力を発揮したからである。もう一つ理由を付け加えるならば,私が1971年から8年間,東京国立文化財研究所に勤務し,毎日のように黒田の作品を見ていたからである。この研究所の一室が黒田清輝の記念室になっている。この発表で中心的に取り上げる代表作「湖畔」「智・感・情」「梅林」は,すべてそこに陳列されているのである。という題のもとに出品され,高い評価を得た。また1900年のパリ万国博覧会にも出品された。若き日の黒田は,ラファエル・コランのもとで,裸体モデルの木炭スケッチに始まるアカデミズムの教育を徹底的にたたき込まれ,みずからも一生懸命に学んだ。そのすぐれた描写力は,ここにもとてもよく発揮されている。軽い逆光を受ける顔の描写も,伝統的なH本絵画にはなかったものである。それもコランから学んだものであった。しかし,顔の立体感はそれほど強くない。片平ではないが,あっさりとした印象を受ける。もちろん,これを喜多川歌麿の大首絵や,渡辺畢山の「校書図」(静嘉堂文庫美術館蔵)と比較するならば,的確な陰影法によって,立体感がみごとにとらえられているということになる。だが,これを師コランの「若い娘(0嬢の肖像)」(アラス美術館蔵)のボリューム感豊かな顔と比べるならば,モデルの種子[たねこ]の顔がいかに平面的に処理されているか,一目瞭然であろう。黒田ははじめからこのような表現をとったわけではなかった。その6年まえ,フランスで制作し,ソシエテ・デザルティスト・フランセに入選を果した「読書」(東京国立博物館蔵)では,きわめて強い立体表現が試みられているからである。それはヨーロッパ人の顔の彫りが深く,日本人の顔は凹凸が少ないといった人類学的差異とまったく無関係ではないだろう。事実,1900年パリ万国博覧会にあたってふたたび渡仏し

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