鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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セッションの内容:セッションには,主催者のほか発表者4名と,発表を総括するディスカッサント役のクレイグ・クルナス氏(サセックス大学,中国美術史)の計6人が米国・イギリス・オーストラリア・日本から参加した。鈴木のほか3名の発表者と題目は,ューコ・キクチ(チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン,日本美術史)「柳宗悦の東洋オリエンタリズムと民芸理論」,ジェームズ・エルキンズ(スクール・オブ・アート・インスティテュート・オブ・シカゴ,中国美術史)「中国・西洋絵画の比較原理」,スタニスラウス・ファン(アデレード大学,中国美術史)「中国庭園史のあり方」。4つの発表は,美術概念の受容と展開の歴史を論じたもの(キクチと鈴木)と現在の美術史の立場と妥当性を問題にしたもの(エルキンズとファン)にわかれたものの,いずれの関心も西洋に淵源をもつ美術史が非西洋を対象とするときに生じるさまぎまな葛藤に向けられ,セッションの課題を立体的に論じることができた。とりわけ,美術史と非西洋の対象のあいだの麒顧を負の側面とみるよりも,アジア美術史の枠組みの再構築の可能性をはらむ,本来的にハイブリッドな側面として認識できたことは大きな成果だった。セッションの所感:私の発表内容については報告末尾の要旨を参照ねがいたいが,このセッションヘの参加は日本国内の研究集会では得がたい体験になった。なによりも,日本人研究者が日本国内で日本美術史の研究にたずさわることが絶対的多数派に属すという事実をつよく実感させられた。主催者アベ氏は,個々人の研究の実践にとって「だれが,どこで,なにをどのように研究するのか」は決定的な事柄だ,と趣意書をしめくくっていた。①だれが,②どこで,③なにを研究するのか。この3項目は実践主体の立場を形づくり,④どのように研究するか,につよく作用する。試みにセッションの構成員6名について①②③の3項目にそれぞれ値を代入してみると,私以外の5名のおかれた立場がいかに私と対照的かわかる。この5名にとってアジア美術史の研究にたずさわることは少数派を意味している。しかも,3名の立場は①だれが,の項目においても少数派に属している(もちろん,このほか男/女・教育・使用する言語,等々による差異がある)。研究する主体間にある差異の重要性は,このようなセッションに参加してはじめて-574_

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