鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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20年代前半のマチスの作品を,自然に基づく色彩豊かだが不定形で,印象派的,習作廊におけるマチスの近作を集めた個展のこれまでにない成功について述べながら,その理由を,かつての作品では抑制されていた感覚が近作ではそのまま表現されている点が公衆に受け入れられた,としながらも彼自身はむしろ以前の抑制のきいた作品を評価している(注17)。戦前キュビスムの擁護者としての立場からマチスのブルジョワ的な姿勢を批判したアンドレ・サルモンは,戦後に入るとその態度を軟化させなからも,相変わらずマチスの芸術を柔和な「女性的」なものと呼び,この画家を印象主義に由来する「不定形の芸術unart amorphe」の代表と見倣している(注18)。「より装飾的でセザンヌほど熟練がなく,より自発的,野性的で,本能へ向かい,色彩=マチエールに特別の信奉をおいている」(注19)といったリデルの批評に例示される通り,的,本能的な描写とみなして,セザンヌからキュビスムに至る構成的,古典主義的な造形と対置する見方は広く見られた(注20)。マルセル・ガイヤールはフォーヴィスム自体を印象主義に続くものにはかならないと示唆し,不定形へ向かっているという見方に言及している(注21)。一方これとは対照的に,マチスを構成的で古典主義的な傾向と結びつける言説も少なくなかった。1920年にルネ・シュオブは,やはりマチスの画風の変化に言及して,外界の表象を必要としながら純粋な感覚の瞬間的な表現ではなく知的な抑制を加えた,より単純でより的確な構成を目指す「知的な印象主義」が次第に写実主義へ向かっていると述べ(注22),同じ年,ジュール・ロマンは自ら「構成」と同義と定義した「古典主義」をマチスに重ね合わせる(注23)。1929年にマチスについての本を書くことになるフロラン・フェルスも,1924年,単純で真摯な芸術はもっとも古典的だとしてマチスを論じている(注24)。またイギリスのロジャー・フライはフランスの雑誌で,マチスについて,感情を喚起するために形態的な構成を行う本質的に古典主義的作品と呼び,音楽性に通じるような造形性の重視を古典主義という形容詞と結び付けている(注25)。さらにワルドマー・ジョルジュはマチスにおける自然主義的な傾向への回帰と古典主義的な伝統の継承をともに示唆し,女性などの主題に関してルノワールを喚起しながら,マチスの芸術を「室内楽」ならぬ「室内デッサン」と呼んでいる(注26)。1920年に初めてマチスのモノグラフをかいたマルセル・サンバは,マチスの画風の変化そのものをむしろ否定し,本質的にその芸術は常に一貰していることを強調している(注-51-

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