鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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27)。-52 -またジュール・ロマン,シャルル・ヴィルドラック,レオン・ヴェルトとともに1920年に出版されたマチスの最初の複製画集に寄稿して,感覚を統御して表現する画家マチスを讃えたエリー・フォール(注28)は,『近代芸術』においてもマチスの作品を陶器やタピスリーといった工芸品や音楽にたとえ,セザンヌと結び付けて逸話的な主題のないその造形性,装飾性を強調した(注29)。しかしこうした称賛からまもなく,彼は次第に,マチスの「人間性」の欠如した視覚的な快楽のみに終始する作品に失望してゆく。視覚的な快楽に終始しているというマチス批判はすでに戦前からキュビスムの擁護者であったアンドレ・サルモンの批評(注30)などに見られたが,その観点はむしろより前衛主義的な造形的実験を評価する立場からのものだった。しかし大戦後の批評の中でしばしば主張された人間的感情の回復や人間性や生命,といった表現における精神的価値は,色彩などの造形的価値そのものに対置され,それ以上に重要な意味を与えられている。エリー・フォールは1923年の友人への手紙の中で「マチスに対する唯一の批判は,いささか人問性が欠けることだ。視覚的な名人芸に終始している」と述べ,翌年には「この芸術における人間性の欠如はほとんど衝撃的だ」とより強い調子で非難している。さらに後には「(画面に描かれた)女性はヴァイオリンや長椅子程の重要性も与えられていない」と述べて,マチスの作品を装飾的で造形的な巧みさ以上のものではないと見倣している(注31)。興味深いのは,ここで問題にされた表現における人間性や精神性という主張がこの時代におけるマチスに対する肯定的な評価が行われる際にも中心的な論点をなしていることであり,それが,実際古典主義か印象主義かといったいずれにせよフランスの伝統に結び付けられる諸傾向の表面的な対立以上に,この時代の重要な批評言語を形づくっている点である。そしてこのことはマチス自身の変化を考える鍵とも見倣しうる。20年代はマチスにとって風景とともにとりわけ女性モデルを使った人物表象に積極的に取り組んだ時期だった。マチス自身が語っている通り(注32)彼にとって人物という主題はその精神的で表現的な内容において初期から何よりも重要な位置を占めていたが,1916年以後におけるマチスの人物表現に対する関心の高まりは,それまでのような造形的実験を超え,自らの造形行為における表現の意味の意識的な問い直しを示している。

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