鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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引きだした自己の感覚をもとに変更を加え,「精神的」な芸術としての絵画を創造する男性芸術家は(着衣の姿で)この画面の外に,即ち我々の立っている場所に位置している。る布の上に横たわる裸婦『横たわるロレッタ』〔図3〕(個人蔵)を陰影を伴うより自然主義的な手法で描いており,同じ時期,彼はこの裸婦を制作するアトリエそのものをもまた描いている『サン=ミッシェル河岸のアトリエ』〔図4〕(ワシントン,フィリップス・コレクション)。そこでは上にあげた作品と同様のサン=ミッシェル河岸のアトリエの奥にモデルが横たわり,手前には椅子に描きかけの画面が立て掛けられ,その向かいに恐らく画家のものと思われる椅子が置かれている。アトリエの作品では裸婦の表現はより単純化され,太い黒い輪郭でぎっと縁取られている。椅子に立て掛けられた画面にはわずかな黒い線のほかは明確な形は見えず,壁にかけられた三枚の作品と同様ぬぐわれたようにわずかに黒い線描の残る白い画面をさらしている。ここでは画家の座るべき椅子は空っぽで,裸婦を見る視線は直接観者の位置にゆだねられている。マチスはさらに1918年には背広を着てカンヴァスの前に座る絵筆を持った自画像(ル・カトー=カンブレシス,マチス美術館蔵)を,また翌年にかけては真っ暗な室内で本を読むモデルを描く後ろ向きの画家の姿と,その背後の窓外に広がる地中海を鏡の中の情景として組み合わせた『絵画の制作』〔図5)(エジンバラ,スコットランド国立近代美術館蔵)を,さらに21年にかけて,ニースのホテルでヌードのモデルを前にカンヴァスの前に座る画家を描いた『画家とそのモデル』〔図6〕(個人蔵)を制作している。1903年頃の『カルメリーナ』(ボストン美術館蔵)のように,マチスはほかの時期にも画家とモデルの主題を描いていないわけではないが,これほど繰り返してこの主題が描かれた時期は他にない。まさしく第一次ニース時代への転換期に集中して展開された,自らの描くことの意味を問い直すようなこうした主題とともに,マチスの20年代の転機を考えるに当たってこれまで注目されてこなかったもう一つの重要な仕事を指摘することができるだろう。それは1920年にマチスが初めて自ら編集したデッサン集『50のデッサン』〔図7Aンというそれまでマチスにおいては補助的な役割を占めてきた表現手段か,マチス自1916年から17年にかけて,マチスは同じモデル,ロレッタを使って,赤い模様のあ■D〕である。このデッサン集はマチスの初めての画集の一つであると同時にデッサ-54 -

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