アンチーム身の意図に基づいて編集され初めてまとまった形で出版された点でも異例である。そこにはアトリエの主題と同様,完成された作品の結果以上にそれ以前の制作行為の意味そのものに対するこの時期のマチスの深い関心が読み取れる。そしてやはりここでも主題は女性である。連作レリーフ『背中』のモチーフともなった後ろ向きの裸婦から始まって,モデルは時にはヌードで,時にはエレガントな帽子や衣服を身にまとった姿で描かれる。幾枚かは油彩作品の習作であるが,油彩作品とは無関係なデッサンも多く含まれている。このデッサン集は女性モデルに基づくこれまでになく親密でしばしば官能的な表現性が認められ,表現方法は時には陰影や量感を伴う極めて精緻な描写が行われ(注35),時には簡略な,あるいは柔らかな線を生かしたデッサンが行われる。画家のまなざしは時に応じてモデルの肉体やポーズ,相貌,あるいはその周囲の室内や衣服や装飾的な文様に集中する。場合によっては同じポーズを前に描法を違えてデッサンしている。そこに通底するのは対象に沈潜してそこから引きだされる感覚に集中し,それを表現する形を模索する画家の息を詰めたような眼差しである。マチスは,1908年の「画家のノート」以来,画家とモデル,画家と現実の対象との間に結ばれる感覚的,心理的な交感と,それを造形的に画面に表現する,感覚や感情の一種の浸透作用を成就させるための色彩と線による手探りの,持続的な制作行為自体をその芸術の根本に据えている。マチスが「ひざとひざが触れ合うぐらいに」(注36)モデルのごく近くでデッサンすることはよく知られているが,はいわば対象の与える印象に完全に浸りきり,を結ぶのである(注37)。マチスのいう表現とは,こうしたプロセスによって対象から引きだされる感覚を,ら油彩画であったが,く。いやむしろ,最終的には線描においてこそ,平塗りの色彩に較べてはるかに自由に,直接的に,こうしたシステムが実現されて行くのである。その出発点はこの20年代のデッサンにほかならない。20年代はまた線描の表現によるドライポイント,銅版画,リトグラフなどによる版画が多く制作された時代であることも忘れるべきではないだろう。その主題のほとんどが裸婦である。20年代以降デッサンと深い関係を結びながら展開されるこの表現性の強調は,やがてはマチスの油彩画を内部から揺るがす制作の根本的な問題へとつながってゆく重要な意味を持っていた(1941年)に至る作品を通して線描においてもこうした表現システムが完成されてゆ30年代以降,造形として構策することである。一体化し,対象と親密=内面的な関係この表現の中心はその初期か『マラルメ詩集』(1931-32年)から『主題と変奏』そうすることによって彼(注38)。-55 -
元のページ ../index.html#64