セクシュアリテこのデッサン集の序文の中でシャルル・ヴィルドラックは,造形的な関心に終始した時代から,「画家たちが絵画の“精神性”に心を向ける時代がやって来た」と述べ,マチスのデッサン集をその証左だと論じている。「新しい絵画表現の創造者であるアンリ・マチスは,自己の様式を追究し,その十全なる開花を成し遂げた後,絵画のもっとも高い目的,すなわち人体の表象を目指しているようには見えないだろうか?(……) 彼が描きとめたのはもはや単に人物の外面的な特徴やリズムだけではなく,その個性でありその“精神的な特質caractさremoral"である」(注39)。ヴィルドラックはこのように述べて,マチスの表現の造形的な側面以上に「精神的」な側面を強調している。しかしこの「精神的」な側面かマチスのデッサンにおいて実際に意味していたのは対象となる女性モデルの個性から引きだされる画家の感情,感覚,その中心をなす男性画家の性的欲望である。そして「私は裸婦を描くためにオダリスクをやるのです」(注40)というマチス自身の言葉が示唆しているようにマチスの20年代の主題の中心をなす「オダリスク」は,デッサンにおける探求の結果10年代に於けるような高度な造形や抽象化を経ることなく解放されることが可能となったその私的なセクシュアリテの,言うなれば時代の文脈に沿った“公の”表現形式にほかならなかった。マチスが本格的にオダリスクに取り組み始めるのは,彼がニースにアパルトマンを借り,そこに布や衝立で人工の装飾的空間を作り上げて制作するようになる1921年以降のことである。それは裸体もしくは半裸体の女性を中心的なモデルに据えているという点で1916年以前のモロッコを題材とした絵画とは区別すべきである(注41)。それはまた10年代までのマチスの裸体表象にしばしば見られた男女の描き分けのあいまいさとも対照をなすものである(注42)。彼の最初の重要なオダリスクの作品である『赤いキュロットのオダリスク』〔図8〕(日21年,パリ国立近代美術館蔵)はその生き生きした色彩や装飾面を用いた巧みな空間の構成によってフォーヴィスム以来のマチスの特色をよく示しているが,モデルの肉体の表現には造形的意図に基づく変形は最小限に抑えられ明らかに20年代を特徴付けるオーソドックスな陰影法や肉付けが認められる。それはこの半裸体がカンヴァスに絵の具で描かれた造形物ではなく,見るものに無防備に自らを差し出している生身の女性の肉体であることを強調しており,リンダ・ノックリンの言葉を借りれば(注43)その“アートレス"な様式によって現実感を増すやり方において,この絵はジェロームに代表される19世紀のオリエンタリスムの文脈に位置づけられる。女性の自我や意志を感じさせることの希薄な,表情に乏し-56-
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