日,1924年3月19日,1927年2月22日,ウォルター・パッチ宛て書簡参照。(32) 「私がいちばん魅かれるのは静物でも風景でもなくて,人物像である。それは私が生に対して抱いている言うなれば宗教的な感情をもっともよく表現できるのか人物像だからだ」(1908年,「画家のノート」):Matisse, op.cit., p.49.(邦訳47頁)。(33) マチスは1929年に次のように語っている。「私の目的は自分の感情を表現することである。私を取り巻き,私の内に反応を起こさせる対象,すなわち,地平線から私自身にまで至る,自分自身を含めたすべての対象によってもたらされたこの心の状態を表現することなのである。というのも私はしばしば自分自身を画面に描き込み,自分の背後に存在するものを意識しているからである」。Matisse,op. cit., (34) Griselda Pollock, "Painting, Feminism, History", in Micaele Barrett and (35) ピカソやマチスをはじめとする第一次大戦後のアングル風のアカデミックなデッサンの流行について,Silver,op. cit., p. 258.参照。(36) Henri Matisse, op. cit., p.162. note. 9.(邦訳188頁)。ここでマチスは1942年の言葉ではあるがこう述べている:「構成についての教えをもたらしてくれるものとしてではなく,強姦に至る一種の恋愛遊技の状態で,私の感情をつなぎとめるものとしてのモデルの存在。強姦とは誰のことか?それは私自身のである。つまり共感をもった対象を前にした感動に踏み込んでゆくということなのだ」。(37) 制作の中でのマチスの対象との同化,一体化についてのマチスの発言として,Ibid.,(38) 「デッサンと色彩の永遠の葛藤」という章に集められた1940年代のマチスの言葉参照:Matisse,op. cit., pp.182ff.(邦訳211頁以降)。(39) Charles Vildrac, "Peface", Cinquante Dessins par Henri-Matisse, Album (40) Matisse, op. cit., p. 99.(邦訳108頁)。続けてマチスは「人工的なやり方ではなくてどうやって裸婦を描いたらよいというのです?」と語っている。(41) 例外的に1916年以前にエキゾチックな要素を持った裸婦として『青い裸婦ービスp.99.(邦訳108頁)。Anne Philips (ed.), Destabilizing Theory : Contemporary Feminist Debate, Cambridge, Polity Press, 1992. pp.138-176. Voir p.138. p.61.note 33.(邦訳67頁)参照。edite par les so ins de !'artiste, Paris, Gal. Bernheim-Jeune, 1920. pp. 5-8. Voir pp.5-6. -64-
元のページ ../index.html#73