(42) 例えば『生きる喜び』(1906年,メリオン,バーンズ財団蔵)や『音楽(習作)』(1907年,ニューヨーク近代美術館蔵)の中の一部の人物があげられる。後者のMatisse's Feminine Representations, (The Walter N eurath Memorial Lee-tures), London, Thames and Hudson, 1995. p.16. (43) Linda Nochlin, "The Imaginary Orient", Art in America, mai 1983. pp.119 -131 et 186-191. Voir p,122.(坂上桂子訳,リンダ・ノックリン,「虚構のオリ(44) 特にルノワールの『ハーレム/アルジェリア風に装ったパリの女たち』(国立西洋「ルノワールの『ハーレム』—国立西洋美術館所蔵『アルジェリア風のパリの女(45) Silver, op. cit., pp. 258-264.及び,Id.,"Matisse's Retour a l'ordre", Art in America, no.6, june 1987. pp.111-123 and 167-169参照。(46) エルダーフィールドも指摘する通り,エキゾティックなしつらえとともに「オダ(47) Francis Carco, Le Nu dans La Peinture Moderne (1863-1920), Paris, Les Editions G, CrさsetCie, 1924. (49) 『ラール・ヴィヴァン』誌に於けるこのアンケートは近年リプリントされた:Pourop. cit., p.19.参照。クラの思い出』(1907年,ボルチモア美術館蔵)があげられる。この作品のオリエンタリスムとモダニズムの関連については拙論,『朝日美術館マティス』,朝日新聞社,1997年9月出版予定,参照。作品についてのこの指摘に関しては,JohnElderfield, Pleasuring Painting, エント」,『絵画の政治学』,彩樹杜,1996年。61-92頁。67-68頁参照)。美術館蔵)や『アルジェの女』(ワシントン,ナショナル・ギャラリー蔵)におけるモデルを使ったアトリエでの制作とオダリスクの主題については,喜多崎親,たち』の題名を巡って」,『国立西洋美術館年報』,Nos.27-28,1996年3月,51-57頁,参照。リスク」の主題がより典型的な形で描かれるようになるのは,20年代初頭におけるような意味でのマチスの裸婦の表現に対する問題意識が薄れるむしろ1926年以降である:Cf.Elderfield, op. cit., p. 38. (48) 例えば,ヴォークセルがスティール画廊のために組織した「アングルから今日までの女性裸体展」,ドヴァンベ画廊の「裸体画展」,ェリー・フォールがクレ画廊のために組織した「裸体画展」,マルセル・ベルネイム画廊の「裸婦展」など:Golan,-65 -
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