1. 18世紀後半のスペインの版画の状況とアクワティントの導入Bosse, 1602-1676)の技法書の翻案であり,また図版も踏襲されている。ルエダの解-Baptise Le Prince, 1734-81)がこの技法を用いた最初の作品を1768年に制作したとわせて開催されたゴヤの版画展「普遍的言語展」から得た新知見,国立図書館版画室長エレナ・デ・サンティアゴ博士や国立版画院副館長フアン・カレーテ博士らスペインの研究者からの教示,そのほかの文献調査に基づいている。前述したように18世紀後半のスペインの版画は制度が整い,版画家が養成されていく時代であったが,その技術のレベルを考えるには,1761年に出版されたマヌエル・デ・ルエダ(Manuelde Rueda, 1730-?)の版画技法書がひとつの目安となるであろう(注1)。本書は基本的に1645年にフランスで出版されたアブラアム・ボス(Abraham説を通読すると,版画が当時のスペインにあって国外から輸入される技術であったことが改めて感じられる。続く1770年代後半は,サルバドール・カルモーナ(SalvadorCarmona, 1734-1820) が,10年におよぶパリ留学で成功をおさめて凱旋帰国し,アカデミーの版画部長として,さらに宮廷版画家として活躍していた時期にあたる。このときから版画家の地位は向上し,またマドリードでもより本格的な版画制作が開始された。ところでアクワティントは18世紀後半にフランスで発明され,ル・プランス(Jean考えられている。その直後からイタリア,イギリスにも広まったという報告もあるが,アクワティントの技法が公表されたのはル・プランスの死後のことである。ルエダの前掲書には当然アクワティントについての記述はなく,最新の技法としてメゾティントが紹介されている。スペインにおいてアクワティントが普及したのは,フアン・カレーテが『スペイン版画史』で概説しているように,18世紀の末と考えられ(注2),事実1780年代から90年代にかけて『マドリード公報Gacetade Madrid』にアクワティントの版画の広告がたびたび掲載されるようになった。例えば1786年6月に掲載された広告によれば,ホセ・ルビオ(JoseRubio)はアロンソ・カーノの《パドヴァの聖アントニオ》の複製版画にアクワティントを用いている。また1796年4月5日の『マドリード公報』にはこの新技法の教授の広告が掲載されている(注3)。しかしながらこのテーマに関して具体的な作品研究は少なく,エレナ・パエスによ-69-
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