—大安寺釈迦像を視野に入れて―I 光背の形制・文様など⑦ 奈良・薬師寺蔵(重文)光背(残欠)文様の検討研究者:東海女子大学文学部美学美術史学科教授藤澤隆子はじめに現在,奈良・薬師寺にはもと丈六像のものと思われる光背の残欠が伝来している(注1)。本光背は早くから注目され,『七大寺H記』や『七大寺巡礼私記』(注2)に定朝が大安寺釈迦像を模刻して造立したと記載される薬師寺東院所在八角円堂本尊に付属したものとされた(注3)。この見解は否定されることなく踏襲されている(注4)。これはやはり大安寺釈迦像が現存せず,薬師寺金堂・薬師三尊と一,二を争う出来映えであると平安時代以来評価されてきたにもかかわらず,その様式を具体的に知ることができないこと,また我が国初めての官寺である百済大寺(高市大寺・大官大寺・大安寺)の本尊であることによろう。天智天皇造立になると考えられている百済大寺本尊(大安寺釈迦像)は,飛鳥寺(法興寺)本尊や法隆寺本尊に次ぐ時代の記念碑的造像として,日本彫刻史上重要な位置を占めているのである。したがって大安寺釈迦像について何らかの知見を得たいという意図をもって本光背をテーマとした。前述の先学たちが本光背を模古作とする根拠として,光背の意匠や文様をあげている。特に葡萄の房様の実をもつ宝相華文様は注目されてきた。今回はこの特徴的な葡萄の房様の実をもつ宝相華文様を,文様として正確に認識・理解した上で,日本の葡萄唐草や宝相華唐草文様の流れをあとづけて,そのどこに位置づけることができるかを明らかにしたい。以下光背の形制や文様を中心に検討していきたい。本光背の形制の特徴は,第一に頭光部に続く身光部が円形ではなく,頭光部からやや曲線を持って外側に張り出しその後はぼまっすぐに下方へ降りていることであろう。本光背の制作年代と考えられる平安時代後期では身光部も頭光部とともに円形であることが一般的だからである。また第二に現在欠失あるいは取り外されているが,周縁(1) 形制-80 -
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