鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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III 本光背・(葡萄)唐草文様(下絵)の位置⑤ 変容:装飾化・図案化・退化奈良時代後半。葡萄唐草は正統的に継承される767)の口縁腰帯線刻のように房は細り葉は平面化し図案化され,瓦では慈光寺の形から三個の花を出す。その花は(イ)尊をもつ葡萄の房状(口)房の粒々を包み込んだ花形,(ハ)薦をもつ詈状である。私はこの(イ)〜(ハ)は(ハ)の葦から(口)花が咲き(イ)実を結ぶ過程,つまり植物が菅から実を結ぶまでの変化を異時同図的に表していると解釈したい。そうするとこの場合の(イ)は葡萄を表しているとは限らないことになる。これの類例として(イ)と(口)を同時に表した宝相華が東大寺・花鳥彩絵油色箱の側面に描かれている(『奈良六大寺大観』九巻185頁220頁221頁)。鳳凰や双鳥の左右に(イ)と(口)さらにこの場合は(ハ)の奮ではなく前二者の中間段階と理解できる花形が描かれている。これも同じように解釈すれば,花形や房は花から実への変化の三段階を一図に表していることになる。葉は,二筋切れ目の入った自然葉風であるが,葡萄の葉には見えない。したがって油色箱装飾も宝相華と呼べるだろう。さらに部分的に一致する類例を付け加えるならば,薬師寺東塔天井・支輪板には先の各段階の内(口)の変形と解釈できる花形が描かれている。ところが前述した法隆寺五重塔西面・金棺には石櫂果様の花形と呼ばれるものがみられた。これは後述するIII-(1)一①に相当すると思われる。一方,法隆寺・竜水文瓶の線刻のように装飾化し,正倉院・銀壷(天平神護3年=ように退化する。(3) 9世紀① 継承平安初期にはなお葡萄文様は装飾文様として採用されている。仁和寺・宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱(延暦19年=919)いわゆる三十帖冊子を納めるために製作された箱の装飾に使用されている。迦陵頻伽や密教系の三段に重ねた菊形の花とともに葡萄の房を多用し,面状の文様を構成している。IIにおいて日本での葡萄唐草の変化を見てきた。IIの(2)の④で明らかにしたように,文様に見られる葡萄房状のモチーフは葡萄唐草だけからではなく宝相華文の展開からも生じたものである。それも視野に入れながら,ここでは本光背の(葡萄)唐草文様が日本の葡萄唐草文様のなかでどのような位置を占めるのか検討したい。-85 -

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