(1) 宝相華唐草日本の文様のふるさと中国では唐代に宝相華文が成立した。唐代にパルメット系唐草が変容して花唐草(宝相華文)が成立したとされ,その過程が林良ー氏によって明らかにされている(注5)。その中から本稿に関係するところを要約すれば,①その過程においてパルメット系の諸要素を基本的モチーフとする構成的な花唐草が多様に出現した。②さらに構成的なものから空想的ではあるが写生的な要素を取り入れた律動的・ゆらぎをもつ花唐草へと変容した。この②の花文に,房状の顆粒形を吹き出す花形や石櫂果文花形や石櫂文系子房の花形などがあり,これらか葡萄の房と紛らわしく見える。実際,文様の記述において葡萄あるいは石梱とは断定されず葡萄様あるいは石櫂果様の空想花と呼ばれることが多い。しかし前述したように,それらは奈良時代盛期には菅から花・実へという変化の各段階として捉えられていた。II-(2)ー④であげた遺例は唐草ではなかったが,当然唐草にもそのような各段階は取り込まれていただろう。(2) 葉の表現中国の宝相華では,花が写生的要素を入れてゆらぎ(花弁の翻転)を表現したと同時に,葉にも翻転が見られ自然葉のもつゆらぎが表現される(敦煙石窟第148窟東壁大である(8C末〜9C初)。(3) 本光背・(葡萄)唐草文様(下絵)の位置づけさてでは,本光背の(葡萄)唐草文様はこのような展開のどこに位置づけられるだろうか。本光背の観察によれば左右少々表現に差異があった。どちらかといえば左方の方が古い要素を残しているといえる。しかし下絵は共通であったと考えられるから,右方の方が制作当時(平安後期と想定)の好みに合うようにアレンジしたのではないだろうか。(たとえば平等院鳳凰堂天蓋(方蓋垂板)の透彫宝相華唐草の葉は翻り,葉先は揺らめいている)。そうとすれば下絵の文様は茎は波状がしっかりと表され,反転した茎の先に葡萄の房と葉を交互に配したかなり構成的なものということになる。しかしこれが重要な点であるのだが葉はパルメットやC字形や葡萄の自然葉ではなく宝相華の葉となっている。したかって日本における葡萄唐草文様の初期的受容期のものではなく,八世紀に入ってから展開した時期のものであろう。しかも受容期の葡萄文様が継承されて展開したのではなく宝相華からの展開(II-(2)ー④)から生じた一形暦11年=776造営)。また茎の主導性が失われる傾向にある。大形の花や葉に隠れるの-86 -
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