鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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をつけ,右手胸前,左手膝上でともに第一指と第三指を捻じて結珈鉄坐する。頭大短躯の童子体形で,相好は柔和な表情である。本像は朝鮮半島彫刻史の中でも決して多くない在銘作例として,制作年・尊名・安置寺院が知られる点できわめて重要な位置を占めている。(2) 普明寺銅造菩薩坐像〔図2〕円福山普明寺は,有明海に臨む佐賀県鹿島市に所在し,延宝五年(1677)に鹿島藩主鍋島直朝が,出家した長男直孝(格峰断橋禅師)を開基として,衰微した円福寺を再興した黄粟宗寺院であるが,現在は末寺の法泉寺か管理している(注4)。本像についての伝来は判然としないが,光背の朱漆銘から中興以来,観音菩薩像として当寺に安置されていたことが知られる。像は宝髯を結い,宝冠(亡失)を被り,法衣・僧祇支.拮等をまとって,耳堪・胸飾.腕釧・環塔をつけ,右手胸前,左手膝上でともに第一指と第三指を捻じて結珈鉄坐する。おおよその像容が観音寺像と通じていることが一見して看取され,ともに雛形となる作例があい近いものであることが想像される。ただ,作風についてはいくつか相違する点が見られる。例えば,身体各部の比例は普明寺像がより自然で,観音寺像のような頭大短躯の童子体形ではない。面部の表情も,普明寺像は目尻が切れ上がり,鼻梁が細く鼻先が鋭いなど,厳しいものとなっている。また胸飾やI嬰塔,衣文,垂髪等の細部に至るまで緻密な表現が施され,比較的穏和な像容が多い高麗仏のなかでは数少ない緊張感溢れる作品で,朝鮮半島に伝わるものを含めても類例中最も優れた作例の一つにあげられよう。制作年代もこうした特徴から,13世紀末までさかのぼるものと考えられる。(3) 長得寺銅造菩薩坐像〔図3〕佐賀県唐津市所在の雙嶽山長得寺は永正年間(1504■21)に創建された松源寺を前身とし,正徳二年(1712)に長得寺と改称した。松源寺は峰臨探牛を開山とし,松浦党神田氏の拠点である唐津神田熊ノ原に位置していた(注5)。また中興開基は豪商で名高い呼子の鯨獲り常安九右衛門と伝えることから,当寺が東アジア海上交易の主たる担い手の一人であった檀那と関わりが深く,本像の伝来にもそうした事情があるものと思われるが,詳細は詳らかではない。像は宝髭(亡失)を結い,宝冠(亡失)を被り,法衣・僧祇支.拮等をまとって,耳堪・胸飾.腕釧.f嬰塔をつけ,右手胸-100-

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