鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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作年代の判然とする観音寺像を軸に,主に作風からそれぞれの造立年を考えてみたが,さらに各作例の形式的な特徴を個別に検討して結びとしたい。まず印相であるが,遊戯坐の宝泉寺像,第一指と第二指を捻じる安昌院像,左手与願印(右手欠失)の満願寺像を除く六躯の像は,いずれも右手胸前で,左手膝上でそれぞれ第一指と第三指を捻じる形式である(本顧寺像は右手指先欠失,また個人蔵像は左右逆)。現在朝鮮半島ならびに日本に伝わっている,如来形像を含む高麗時代の作例のほとんどがこの印相である点は,印相による尊名決定の障害の大きな理由の一つになっている。観音寺像については,銘文により観音菩薩であることがわかるが,例えば15世紀末か尊・薬師三尊等において菩薩形像が脇侍として制作されたことが知られることから(注13),第一指と第三指を捻じる菩薩形像を観音菩薩とのみ速断するわけにはいかず,印相による像名の決定はなお慎重にならざるをえない。また宝冠正面の標識についても,現状ほとんどの遺例では別鋳のものを取り付けていた痕跡はあるものの残存はしていないために,やはり有力な手がかりにはならない。ところでこのほかに注目されるのが,胸飾とf嬰塔の意匠である。多くの場合,胸部中央と両膝頭やや下方に同じ意匠の装飾をつけているが,その意匠は宝珠の周囲に花弁を配する仕様であり,本相違はあるものの,こうした意匠である。韓国に伝わる作例でもこの意匠のものが圧倒的に多く,朝鮮王朝に入ってからの作例にもやはり継続して採用されており,菩薩形像の胸飾とf嬰塔の意匠として定着していたことがうかがわれる。これに対して,普明寺像の場合は小宝珠を縦に二つ並べてその両脇に同形同大の小宝珠を一つずつ配し,さらに花弁で囲んだ意匠で荘厳している。これと同じ胸飾・櫻塔をつける例としては,管見の及ぶ限りでは韓国国立中央博物館所蔵金銅菩薩立像二躯(伝1333年銘)があげられるのみであるが,絵画作例に目を転じると,大和文華館本を除くすべての楊柳(水月)観音像や,法恩寺阿弥陀三尊図(1330年)の観音菩薩像,東京国立博物本・根津美術館本をはじめとする阿弥陀八大菩薩図の観音菩薩像等,数多くの観音菩薩像には使われているが,他の尊像には用いられていない。先述したように観音寺観音菩薩像が一つの宝珠の周囲に花弁を配する意匠であることから,こうした傾向をもって普明寺像と中央博像の尊名を観音菩薩とみるわけにはいかないが,絵画作例におら16世紀はじめに編纂された『東文選』によれば,釈迦三尊・毘虞舎那三尊・弥勒三稿で取り上げた観音寺像・長得寺像•本願寺像・宝泉寺像•安昌院像が細部の若干の館本•MOA美術館本をはじめとする阿弥陀三尊来迎図の観音菩薩像,徳川美術館-105-

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