8)。したがって,「頂相形式」を有する南都の祖師像の成立も禅宗文化の影響と同時寺などの寺院には,戒律復興運動に関連する祖師の画像が伝来している。特に東大寺には戒壇院を中心に伝わったこれらの律宗祖師像八幅と共に,華厳五祖の画像が六幅伝わっている。大半は禅宗にみられるような,法被を掛けた椅子に座し威儀を正した像主を斜めから描く,いわゆる「頂相形式」を有するもので,制作期は鎌倉期から室町期にかけてのものである。禅宗の頂相には全身を描くものの他に半身像の形式もあるが,ここで「頂相形式を有する」と表現した戒律復興期の祖師像に半身像はなく,すべて絹本着色の全身像である(注7)。禅宗における頂相のような肖像画は,中国では禅宗に限らず士大夫などの社会でも一般的なものであり,数多く描かれ流通していた。海老根敏郎氏は,頂相に類する肖像画は禅宗文化固有のものではなく,広く同時代(宋元)中国社会において一般的な肖像様式の一部であることを指摘された(注に,同時代的な中国文化の摂取というコンテクストの中でも考察されるべきである(注9)。この事は,高山寺蔵の張子恭筆不空像が手に宝輪を持つ点に宗派の独自性を見出す余地を残すものの,いわゆる「頂相形式」を有していることからも看取できる。第一章東大寺に伝来する戒律復興期の祖師像東大寺には戒壇院を中心に,鎌倉から室町期にかけて製作された「頂相形式」またはこれに準ずる形式を有する祖師像が十二幅伝来している。現在のところ,それらは像主別に華厳宗祖師と律宗(四部律)祖師に大別されているのみなので,律宗祖師像の作品群から更に再興戒壇院の第一世,第二世である円照と凝然をく同時代日本人僧〉として独立させて,<華厳五祖像〉<四部律祖師像〉く同時代日本人僧像〉の3グループに分類した。個々の作品に若干の説明を試み,更に凝然の著述にみる祖師観との対応関係を次章で考察してみたい。なお,作品名称と制作年代に関しては平田氏の説に従った(注10)。く華厳五祖像〉華厳祖師は,天竺の馬鳴,龍樹の二人に唐土の帝心,雲華(至相),賢首(香象),清涼,圭峯の五祖を加えて七人を数えるのが一般的である(注11)。東大寺の華厳祖師像は唐土の五祖によって構成される。なぜ華厳祖師が唐土の五祖によって代表されるのかについては凝然の歴史観との関わりと関連させて後述することにして,現存す-110-
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