鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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注(1) 主な論考には「南都の大智律師画像」(『ミュージアム』205,1968年4月)や「戒くり出す媒介として画像が機能する点に置いてこれらの作品群は,禅宗における頂相の機能に密接に関わって来るのではないだろうかと筆者は考える。筆者は戒律復興期の南都のネ且師像を頂相研究の一環として始めた。そこで禅宗の頂相研究に新たな比較材料を見出す,という観点から本稿をまとめておきたい。筆者は以前,禅宗の頂相が祖師忌法要において果たす,参加僧侶の系譜再確認の役割について論じたが,本稿でとりあげた南都の祖師像もこれと同様な役割を果たしていると考えられる。「宗派」という意識のもとに,宋代肖像画の様式を取り入れつつ祖師像をつくり掛真する行為は,系譜を強調し,積極的にアピールする視覚イメージであるという意味で,禅宗頂相との類似が指摘できる。律復興期における南都の祖師画について」(『仏教芸術』68,1968年8月),「興正菩薩叡尊の画像」,(『大和文化研究』138,1969年12月),奈良六大寺大観『東大寺三』図版解説などが挙げられる。(2) 戒律に関する考察は数多い。又鎌田茂雄氏による華厳宗に関する一連の研究も参照した。(3) 「律学者ノ学卜行卜相違セル事」(『沙石集』,新日本古典文学大系八十五,1974年12月,岩波書店)pp.153■154。(4)平田寛「南都仏教」(「図説日本の仏教」第一巻,『奈良仏教』,平成元年3月,新潮社)(5)教団における僧の再生システムについては松尾剛次氏の研究を参照。松尾剛次『鎌倉新仏教の成立一入門儀礼と祖師神話ー』(1994年9月,吉川弘文館)。この著書は,受戒すなわち教団へのイニシェーションと祖師信仰を関連づけて論じている。その中で松尾氏は梢師絵伝を画像史料として扱っている。(6) このうち,東大寺で受戒する僧は多く,(俊初は筑紫の観世音寺で受戒しているが)栄西や法燈国師無本覚心なども東大寺で受戒した。又,「大乗」の円頓戒を宣揚とした比叡山の北嶺戒壇は,多くの「鎌倉新仏教」の祖師が戒を受けた戒壇である。(7) 半身像の出現は美術史的に重要な問題であり,大西廣氏による論考「肖像画にお-l18 -

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