ムーラ聖堂の古代フリーズからの引用を認める本稿の指摘は,当フリーズの受容史においていかなる貢献を成すのであろうか。他の多くの古代遺品についてと同様にボーバーとルビンシュタインの『ルネサンスの芸術家と古代彫刻』により先鞭を付けられた,サン・ロレンツォ・フォーリ・レ・ムーラのフリーズのルネサンス期における受容史に関してはレオンチーニの研究に詳しい(注1)。当フリーズはspolia(古代遺物の再利用)として,1230年頃までにはサン・ロレンツォ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂のコスマーティ装飾のなされたスコラ・カントールムに用いられていた。同フリーズがサン・ロレンツォ聖堂にあったことを示す最初の図像史料は16世紀初頭の『エル・エスコリアル素描帳』で,いくつかのモチーフの模写の脇に“asantolorenzo fuor delle mur"との書き込みがある〔図5〕。ジョヴァンニ・チャンピーニの『昔日の記念建造物Vetereamonimenta』(1690)の挿し絵からも分かるように,フリーズ断片中二点(フリーズA,B)は,説教壇の下部に嵌め込まれていた〔図6〕。残り四点がスコラ・カントールムのどの部分に用いられていたかは不明であるが,フリーズからの模写・引用例のうちほとんどすべてが説教壇に嵌められていた二点からのものであるため,残り四点はさほど見やすくはない場所に利用されていたとも想像される。ボーバーとルビンシュタインによる研究では10例が挙げられたに過ぎなかった当フリーズからの模写・引用例は(注2)'その後最も詳細な調査を行い模写・引用例をカタログ化したレオンチーニによって,模写だけで25例,作品中への引用例も10例を数えることとなった。レオンチーニにより最も早い引用例とされるフランチェスコ・ディ・ジョルジョの作例の制作年代上限に関しては議論が分かれるが,いずれにせよ1470年代初頭のスキファノイアにおける引用例が,当フリーズの受容史における最初期の例の一つであることは明らかである。また多くの引用例において説教壇に嵌められていた二点の断片からのモチーフのみが模写されているのに対し,スキファノイアにおいては,その他の断片からもモチーフが取られ,それらが自由に並び替えられており,興味深いものとなっている。さてここで何故この時期当フリーズがかように模写・引用されたのかを考えておきたい。サン・ロレンツォ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂は当フリーズのみならず古代遺品に恵まれた教会であり,古物研究の盛んになったこの時代に人文主義者たちのいわ-3 -
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