—馬遠「西園雅集図巻」(ネルソン・アトキンス美術館)をめぐって―巾・野褐の李公麟が「淵明帰去来図」を横巻に描き,披巾•青服の見補之(1053~衣の鄭嘉会が膝を按じて俯視し,その後ろに侍童がいる。幅巾•青衣の秦観(1049~⑫ 中国風俗画における遊宴の図像についての研究研究者:大和文華館学芸員板倉聖哲南宋時代の画院画家を代表する馬遠の「西園雅集図巻」(ネルソン・アトキンス美術館,図1)には,その主題をめぐって2説ある。1つは蘇拭(1036■1101)ら北宋時代末の著名な文人たちの集まりである西園雅集を描いたとするもの,もう1つは馬遠のパトロンの1人であった張鉱(1147■1201■?)の桂隠での集まりの光景であるというものである(注1)。本図巻には現在落款がなく,題箋として「宋馬遠絵春遊賦詩図」とあり,この2者の解釈を判断するための文字清報は作品自体に付随していない。この2つの意見の並立は,この画が故事人物画なのか,それとも当時のドキュメンタリー的な側面の強いものなのかという問題であり,つまり,ある共通の絆で結ばれた文人たちの集まりを表した文会図,ひいては中国風俗画における主題をめぐっての最も重要な問題が浮き彫りにされているため(注2)'ここでは本図巻を中心に検討することにする。「西園雅集」の故事は文人たちの雅遊として「竹林七賢」「香山九老」「洛陽者英会」などと共に,東アジアにおいて非常に有名である。「西園雅集」は北宋時代の元豊もしくは元祐年間の初め頃,宗室の王読(?■1069■1099■?)が主催した西園での宴遊のことで,蘇載・米苦(1051■1110)・李公麟(1049■1106)ら16名が参会したという。李公麟が着色の背景の中にその様を描き,米苦が「西園雅集図記」(以下「図記」と略)を作り書したことが米苦の文集である『宝晋英光集』補遺の記載によって知られる。その図様は,烏帽で黄色い道服を着けた蘇拭が筆をとって書き,仙桃巾・紫衣を纏った主催者である王読がその書を覗き,幅巾・青衣の禁肇(?〜1119)が方机に寄りじっと立ち,李元儀が蓮荷の花をとって見ており,その後ろに王読の家姫が立っている。道帽・紫衣を着けた蘇轍(1039■1112)が石盤の傍に坐り,左手に書巻を観ており,団巾・繭衣を着た黄庭堅(1045■1105)が芭蕉扇を持って熟視し,幅1110)が肩を撫して立ち,張未(1054~1114)が跳いて石に捉って画を観,道巾•青-121-
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