に,揮奄する文人を中心にして文人・僧侶たちが集まっている。巻末にもその集団に近づいてくる文人たちの姿が描かれている。現存する馬遠の基準作として「禅宗祖師図」3幅(天竜寺・東京国立博物館,図2)があげられる。3幅には微妙な差異が認められるが,顔貌は総じて精細に描かれており,肖像画的表現に依拠したものと考えられる。衣紋線も衣の質感を巧みに描き分けている。これと比較すれば,本図巻中の人物の顔貌にはそれぞれの特徴がよく表れているものの,その描線は「高士観瀑図」(メトロポリタン美術館).「松渓観鹿図」(クリーヴランド美術館)などの山水人物画中の人物表現に近い。その意味で,本図に「現実の出来事から生まれた作品の持つ調子と新鮮さ」が認められ,これらの画中人物を画家自らのパトロンといった非常に近い存在と見なすには躊躇させられるのである。ここで巻後半部分の図様に注目してみたい。揮衛する文人を中心にして集まる人々の上方には「垂雲石」と見なされる巨石と雲が,左上方には集まりに無関心で水流を眺めながら座す高士が,さらにその左方にはやや上方を見やりつつ歩む高士が描かれている。中心の集まりとの関係が希薄なこの図様は基本的には伝李公麟「陶淵明帰隠図巻」(フリーア・ギャラリー,注4)の第7段〔図3〕を反転させた図様に合致している。人物の姿態や頭巾の形態も同一である。この図巻は東晋・義煕2年(406)に陶潜(字は淵明,365■427)が影沢の県令を辞し故郷尋陽柴桑の旧居に帰った際に詠じた「帰去来分辞」を絵画化したもので,この図巻の他に,この図と同様に段落毎に詞書を伴ったものとして「帰去来図巻」(ボストン美術館)など,場面が連続しているものに伝李公麟「帰去来辞図巻」(台北故宮博物院),伝李唐「帰去来図巻」(クリーヴランド美術館),伝何澄「帰荘図巻」(吉林省博物館),伝仇英「帰去来辞図巻」(台北故宮博物院)などがあり,様々な改変・錯脱が認められている(注5)。これらの内,このフリーア・ギャラリー本が『宣和画譜』の記載にも登場する李公麟の原画に遡り得る最も古様な要素を残していると考えられている。そして,第7段は「東皐に登りて以て舒に嘘き,清流に臨みて詩を賦す」という詩旬に相当しており,2つの陶淵明の姿が異時同図的に描かれている。この場面は李公麟画と馬遠画を繋ぐものとして重要な図様であることが既に指摘されている(注6)。つまり,王維詩「終南別業」を絵画化した馬麟「王維詩意図」(1256-123-
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