゜画中人物の風俗が当世風に描かれて,主題もしくは作画の動機としての故事と必ずつ。Vヽねていることになる。馬遠はその時代を代表する画院画家であり,北宋時代末の文人画家李公麟の行為を意識して重ねているのは,その自負を表明していることにもなろ改めて本図巻の主題を「西園雅集」とした上で,「春遊賦詩」と解釈されたことの意味は何なのかを問うべきであろう。今まで明確にされなかったのであるから,馬遠画は実に巧妙に「帰去来図」の図様を取り込み「山荘図」などを参照していることになる。顔貌・衣紋線などの人物表現,松樹・跛法などの背景表現に至るまで,本画巻は馬遠画に特徴的な造形語彙によって矛盾なく統一されており,これらの典拠がそれほど突出することがなかったのである。こうした作画の手法は,既に指摘した画中人物の顔貌表現とも関わっている。つまり,その相貌は特徴的でありながら,描写密度が肖像画的な表現というよりも一般の山水人物画の人物表現に近いのは,李公麟の故事人物画に拠る図様と登場人物の肖似性を一図巻中にうまくおさめる必然性があったからと考えることができる。又,画巻中の巨岩と雲は「帰去来図」のそれと解されたが,張磁の南湖の別荘において最も大きな特徴は「垂雲石」という巨巌であった。実は李公麟の舒城の山荘にも「垂雲祈」という巌がある。つまり,この庭園も「西園雅集」と同様の憧れの中で生まれたものと理解することもできよう。そうした意識が本画巻を「春遊賦詩」としてさらなる解釈の可能性を開いていったのではないだろうか?さらに,東アジアの風俗画の展開においても,本画巻に見られるこの現象は興味深しも一致しない。意識的に乖離させることもしばしば見られる。この場合,北宋時代末という故事の年代,南宋時代半ばという制作年代,この両者の実に微妙な隔たりが,主題をめぐる論議を呼んだことになる。さらに,画中人物を個別に検証すれば,その顔貌は肖似表現の問題を提起しており,その姿態は故事人物画的要素と風俗表現の両者の問題に跨ってくる。例えば,集まりの最も後方にいる,鑑賞者の方を向いて弓を引くようなポーズをとる者は「胡茄十八拍図」や「唐十八学士図」にも登場している。欠伸をするこの人物は「戯けたモティーフ」であり,日本の説話絵巻においてトリックスターと見なされたものに類似--127-
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