鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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⑬ カラヴァッジオ作「蛇の聖母」の図像研究報告者:佐賀大学文化教育学部講師吉住磨子はじめにカラヴァッジオ作「蛇の聖母」,別名「マドンナ・デイ・パラフレニエーリ」(ローマ・ボルゲーゼ美術館蔵)〔図1〕の図像源泉については,1569年のピウス5世による教皇勅書に基づくアンブロージョ・フィジーノの「蛇の聖母」(1581■84年頃)〔図2〕がロンギらによって指摘されてきた(注1)。ただし,カラヴァッジオはフィジーノの聖母子像をそのまま写したのではなく,蛇を踏む聖母子像と聖アンナを融合させて,新しいタイプの「サンタンナ・メッテルツァ」をつくりだした。この点においてこの図像は前例をもたない特異なものとなっている。この祭壇画に関わるドキュメントの調査などによって,注文主側がこの祭壇画の図像のなかに意図したものはある程度解明されてきた。つまり,聖アンナを守護聖人とするヴァティカンのパラフレニエーリ同信会は,当時改築中であったサン・ピエトロ大聖堂内に新しく設置されることになっていた自分たちの祭壇に,プロテスタンティズムを反撃する,対抗宗教改革のイメージを掲げようとして,カラヴァッジオにこの祭壇画を注文したらしいということで意見の一致はみられている。一方,フリードレンダーやセッティスらは,図像の源泉についてロンギらの説を肯定しながら,古典作品のなかにこの祭壇画の図像のオリジナルソースを求めるという新知見を提出した(注2)。報告者は本研究において,ロンギやフリードレンダーらの仮説に異論を唱えようとするわけではない。しかしながら,フィジーノの祭壇画などは「マドンナ・デイ・パラフレニエーリ」の考えられうる最も有力な図像源泉と認められるものの,この祭壇画のなかの老醜の聖アンナの特異な図像の意味は,ロンギらの仮説によってだけでは十分に説明しえない。また,この祭壇画の注文主と考えられるパラフレニエーリ同信会についても,これまでの本作品の研究において,この団体からカラヴァッジオに注文がなされた経緯など,詳らかにされていない点が多い。周知のとおり,カラヴァッジオは注文主の意向や,作品が設置される空間,またその他のさまざまな条件によって,作品の様式や図像をかなり自由に変えてしまうことのできた画家であった。とくに,注文主の意向を巧みに作品のなかに入れこむことのできた作家という点で,特筆-131-

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