Pontijiciという組織としている。この組織化の目的は,聖母マリアと聖アンナ信仰をは,教皇が馬に乗ったり,馬から降りたりする際の介助をしたり,馬を誘導したりする重要な役目を負う。パラフレニエーリとよく似た衛兵にセディアーリ(Sediari)がある。セディアーリとは,その名前が示すように,教皇が御輿(sediagestatoria)に乗って行く場合,その御輿を担ぐ人々のことである。パラフレニエーリとセディアーリは似てはいるが,厳密に言えば異なる任務を負っているのだが,両者のことをパラフレニエーリと呼んだり,またはセディアーリと呼んだりすることもあったという。パラフレニエーリたちには定員があり,欠員がなければその任務につくことはできなかった。はじめに述べた任務のほかに,パラフレニエーリたちはヴァティカン内の「燭台の間」(Saladel Candelabra)という教皇控えの間に居て,さまざまな雑用にも従事した。たとえば,教皇に謁見を許された者の付き添いや,謁見の際の彼らへの整理券の配付といった役目を彼らは受けもった。ところで,パラフレニエーリがこれまで述べてきたような役割を担うようになったのは,1507年4月19日ユリウス2世(在位1503-13)が教皇位にいたときであった。この年,ユリウス2世はパラフレニエーリ同信会をNobileCollegio dei Parafreniei 盛んにし,また,亡くなった同信会員の冥福を祈ったり,同信会員の相互扶助をはかったりするというパラフレニエーリ同信会のもともとの目的を強化することにあった。話は前後するが,パラフレニエーリ同信会(Arciconfraternitadei Palafrenieri) の始まりは,上で述べたような衛兵としてのパラフレニエーリの役割の始まりやNo-bile Collegio dei Parafrenieri Pontijiciの組織よりも,100年以上前の1378年に遡る。同年のウルバヌス6世(在位1378-89)による聖アンナの祝祭日制定(7月26日)を記念して,教皇,枢機卿,各国大使,君主たちはサン・ピエトロ大聖堂内に教皇がつくった聖アンナ礼拝所に定期的に集まった。はじめに述べた16世紀に入ってから始まったパラフレニエーリたちの衛兵としての職務は,この同信会の会員たちによって務められたのである。以上のような,パラフレニエーリ同信会の歴史やパラフレニエーリたちの仕事を調べていくと,パラフレニエーリについて,いくつかのことが明らかになってくる。まず,パラフレニエーリはヴァティカンのなかでも教皇に最も近いところにいて,仕事をしていたということ,仕事の内容も,直接教皇に関係するものであったということ,しかし,当然のことながら,その内容は教皇の職務を拘束したり,それにコミッ--137-
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