⑭ 山東地域における隋様式の研究ー~雲門山石窟の菩薩像を中心に一―-研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士課程村松哲文はじめに山東地域には,黄石崖や龍洞など南北朝期の仏教造像をはじめとして隋唐期にいたるまで,石窟造像あるいは単独の金銅仏や石仏が数多く確認できる。これらは,中国彫刻史を論じてゆく際に欠くべからぎる資料であることはいうまでもない。ところが,これまで山東地域の彫刻は,中央から離れた地方様式というということばで処理され,甘粛の敦煙石窟,山西の雲岡石窟や河南の龍門石窟ほど重要視されることはなかった。たしかに都の置かれた地域の石窟ほど大規模な造営はされず,中央政府の政治的な意図による開竪でないことはいえる。しかし,広大な中国全体の彫刻を論じる場合,中央政府から離れた地方様式ということで軽視するのでは,中国全土を通じての様式変化や伝播ということを論じる際に,最も大切な全体の流れを見失う危険性が生じるのである。つまり,様式なりモティーフが飛び石のように伝わることも実際にあり得るが,その経由地点である中央から離れた地方の造像も充分に考慮する必要があると考えるのである。古くから山東地域は,外国の僧侶が中国に来朝する際の上陸地点であった。東晋時代に仏舵跛陀羅が船で中国に来る時,山東半島北側の登州に上陸している(注1)。また法顕は,往路は陸路であるが復路は海路でやはり山東の青州に到着している(注2)。遣隋使と遣唐使も,朝鮮半島を経由して山東半島にたどり着いている(注3)。山東地域は,いわば中国の入国窓口であったのである。こうした状況を考慮しても,山東地域は見逃すことのできない重要な場所であるといえる。そして中国彫刻史を解釈する場合の手掛かりも,この地域に多分にあると考えられる。また最近になって,山東地域と朝鮮半島や日本の彫刻との関係が指摘され山東地域に注目が集まっている(注4)。報告者は山東地域における仏教造像の調査を進めてゆく中で,いくつもの問題点に直面したが,本報告では研究成果の一部として,隋代の菩薩像に焦点を定めて報告したい。以前,水野清一氏が隋様式はすなわち雲門山様式といわれたように(注5)'雲門山石窟は隋代を代表する石窟である。それゆえ,ここでは雲門山石窟における菩-143-
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