ない。さて,先述の第1窟と第2窟の造営は,窟内に残る銘文から隋の開皇年間と推定される。ところが両窟の造像,特に残存する菩薩像を比較すると全く同時期とは言えず,同じ隋代でも時期が若干相違することは否めないのである。また,報告者はこの相違こそ山東地域における隋様式の成立過程を解明する糸口と考えている。では,雲門山石窟の第1窟と第2窟の相違とは如何なるものか次に検討してみたい。ここでは隋代の菩薩像が成立してゆく過程について,ほぼ同時期ではあるが微妙に制作時期の差を感じさせる雲門山石窟の第1窟と第2窟の菩薩像を比較し,その相違点を導きだすことにより隋様式の特徴を確認したいと思う。第1窟と第2窟は共に本尊が完全な形で残っていないが,両脇の菩薩像は検討できる程度に残されており,この地域における隋代の菩薩像の特徴を今に伝えている。以下に,この両窟の菩薩像について比較検討してみたい。◎頭部:現状では第1窟の菩薩像は,頭部が欠失している。第2窟の菩薩像〔図なのは右脇侍の頭髪を正確に毛筋の流れを造りあげていることで,北斉にはないリアリズムがうかがえ,この後の唐代につづく写実性がすでに見られる。例えば,これは同じ北斉から隋への流れが見られる山西の天龍山石窟でも同様で北斉の第10洞の菩薩像では毛筋を表さないが,陪の第8洞では表すようになる。第2窟の菩薩像の耳は幅があり,第1窟の本尊の耳と比べるとかなり大きい。また左右の像とも,耳桑に連珠文を表しており,これは他に見られない表現である。両眉は大きく弧を描きながら連なるように造られ,対峙する馳山石窟の隋代の菩薩像と比べると彫りが深い。鼻は左右の像とも欠失している。小さめの唇にはわずかに微笑を浮かべる。頚はやや長く,三道を一本刻む。第2窟の菩薩像の全体的な面相の印象は,隋代の作品の中でもクリーブランド美術館の瞑想的な表情を呈する菩薩像とは違い,山西省太原市出土の笑みを浮かべる菩薩像の面相に近い。しかし前者の像も山西省太原市で出土していることから,ただちに第2窟の菩薩像が他の地域から影轡を受けているとはいえず,この地域で独自に創始した面相と考えておきたい。◎身部:第1窟の菩薩像〔図5• 6〕の身体はゆるやかな八字形である。これは根2.雲門山石窟の菩薩像3 • 4〕の特徴を見ると,高い宝冠を戴き,面相は面長で額がやや出ている。特徴的-145-
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