ことなく,腹部を少し前につきだすような姿勢である。第1窟•第2窟の菩薩像とも津美術館にある北斉の白玉像の身体の線に近い。また,衣裾の処理も機械的に折り重ねられ平面的であり,馬祖山石窟の北周銘の残る第3窟の台座に懸かる本尊の衣裾の表現に似ている。一方,第2窟の菩薩像は,肩から脚までの体の線がほぼ直線であり,衣裾の処理もなめらかに垂れ下がるようになる。両窟の左右菩薩像とも,腕は欠失している。両肩から垂れる条吊は,第1窟では厚みがあり菫みが感じられ,やはり馳山石窟の北周窟に見られる平坦な表面で抑揚が見られないつくりに近い。一方,第2窟では二菫のU字形に条吊を懸け,条吊にしわを刻み身体に密着しているなど,第1窟以上に写実性を増している。王嬰洛を見ると,第1窟では球状の宝飾を連ねるが,第2窟になると球状の宝飾のはかにメダイヨンのような楕円形の宝飾を途中にいくつもつけるなど華麗さを強調し,その後の装飾華美な菩薩像の出現を暗示させるものがある。なお第2窟の左脇侍のI嬰塔が左肩から斜めに懸けられている例は中国では珍しく,これはインドの神像に確認される表現であり西方の影響を受けた結果と考えられる(注11)。しかし,このインド的とされる表現が実は山東地域では普遍的に見られるのである。陀山石窟の菩薩像は,左ではなく右肩からであるが斜めに懸ける環塔が確認され,あるいは済南にある玉函山の隋代の菩薩像にもこの例が見られる。次に胸飾を見ると,第1窟の菩薩像では珠をつないだものを頚に懸けるが,第2窟の菩薩像〔図7〕ではそのうえにW字形の飾りをつけ,豪華なものに仕上げている。こうした例は前代では見られないもので,隋代から始まったと考えられる。また同じ例は,諸城県出土の菩薩像にも確認される。次に,腹前から両脚の間を通り足元に垂れる腰帯は,とても目立つ表現である。第1窟の例では帯の表面に何も表さないが,第2窟では表面を連珠文で区分けし,その中に様々なモティーフを表している。これは舵山石窟でも見られ,諸城県出土の菩薩像にも確認でき,さらに最近出土した龍興寺跡の菩薩像にも確認される表現である。これも山東地域の特徴的な表現として銘記すべきである。身体表現は,第1窟はやや胸を張り腹部は張らない。一方,第2窟は胸を張るに長身性を示すが,第2窟の菩薩像では長身性にくわえ細身を意識していることが印象的である。◎台座:第1窟は,高さ2センチほどの低い円形の台座を造り,周囲に蓮弁と思われる半球体をつけるのみであり,対峙する馳山石窟においても菩薩像の台座を造る例は唐代の第5窟などに見られるだけである。第2窟を見ると,躍動感のある複弁形式-146-
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