―-147-3.山東地域における菩薩像の特徴の返花を造っており,特徴的なのは蓮弁に厚みがあり先端が反っていることである。これは山東のi維坊市で出土した隋代の金銅菩薩立像とよく似ており,この地域の特色と見なせるであろう。このように見てくると,第1窟と第2窟は同じ隋代の造営とされてきたが,微妙に相違することが理解できる。第1窟の菩薩像では前代の北斉・北周の影響を残す一方で,第2窟の菩薩像になると,新たな表現法を採用し,さらに唐代につながる様式を芽生えさせているのである。つまり,第1窟が先行して造られ続いて第2窟が造営されたと推測でき,第2窟の菩薩像の特徴に隋様式の成立過程を解明する要素があると考えられるのである。では,以上に述べた特徴がどんな影響から成っているのであろうか。次に第2窟の菩薩像の特徴について,いくつかの面にしばり推察してみたい。ここでは,先に確認した雲門山石窟の菩薩像の特徴をもとにして,特に留意される3つの観点から隋代の様式について推論をめぐらせてみたい。まず第2窟における菩薩像で特徴的なのは,その長身性であろう。以前この長身性について解釈が試みられたが(注12),山東地域における長身性は隋代に始まったものではなく北魏からすでにあった。例えば,青島市博物館の如来形立像〔図8〕などは長身性をかなり意識している。この特徴は隋代にも継承されたが,注意したいのは先に触れたように前代のそれとは違う長身性なのである。つまり,肩から脚にいたるまでほぼ直線に近い身体になる。これは前代のゆるやかな八字形の身体と明らかに相違する点である。おそらく,北魏以米継承されてきた衣裾が広がるという様式からの脱却であろう。また,偏平な胸部になり腹部がやや張るということも考え合わせると,先に指摘したように全体として長身性にくわえて細身になるということがいえる。ただし,ここで指摘する細身とは身体自体ではなく,着ている衣をふくめた身体全体のラインをいうのである。仮にこれを南朝の作例に求めても,長身性は共通するが細身は見いだせない。また,北周・北斉のいわゆる童子形の菩薩像の系統を引かないのは確かである。現時点では,隋代の山東地域において細身の長身性が始まったと推測しておきたい。興味深いのは,法隆寺の百済観音像が長身で,しかも天衣を外側に翻さない,その
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