鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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記録からもわかる通り,この年の復活祭の日4月14Bに,ボルソはサン・ピエトロ大聖堂において,パウルス2世よりフェッラーラ公爵位を授けられた。よってヴァレーゼの指摘によれば,同場面はこの日のサン・ピエトロ大聖堂内での式典を表し,画面中央の教皇はほかならぬパウルス2世でありその左右の人物のいずれかがボルソ・デステということになる。ただヴァレーゼはマッツォラーニによるスキファノイア壁画の模写の公刊を目的とした小著における図版解説で,覚え書き程度にこの新説を披露しているに過ぎない。そこで先に紹介したこの旅行に関する史料を調査してみると,この場面が正確に,ボルソのローマ滞在中に行われた一連の式典のいかなる局面を表したものであるかを推測する鍵となる記述が見いだされる。ボルソのサン・ピエトロの騎士への叙任式およびフェッラーラ公爵位授与式は14日の復活祭のHに行われたが,翌日の15日の出来事についてポルソ・デステ自身がジョヴァンニ・カンパーニ宛の書簡の中で以下のように述べているのである。「……15日は,公爵の衣装に身を包んで,サン・ピエトロ聖堂まで教皇聖下と一緒に行った。私はサンタ・マリア・イン・ポルティコの枢機卿とサンタ・ルチアの枢機卿の間に座らされた。ミサが終わると教皇聖下は説教の中で私そして私の家門を賞賛して下さった。そして私の家門の教会に対するすばらしい功績を記念して下さった。教皇聖下はモンフェッラートの枢機卿とサンタ・マリア・イン・ポルティコの枢機卿に伴われ,私に金の薔薇をお与え下さった。そして教皇聖下は枢機卿の一人から金の薔薇を再び手渡され,それを持って,サン・ピエトロ聖堂の扉の上にお上りになり,民衆の面前で再びそれを私にお与え下さった。」(注4)。すなわちこの日サン・ピエトロ聖堂内でミサの後に教皇パウルス2世はボルソに金の薔薇を授与し,次いでこのことを公にするために,聖堂の入り口扉の上に上ってそこでローマの民衆の面前で授与の儀式をやり直しているのである。壁画において儀式は不自然な高所で執り行われているが,実はそれは書簡の文面に合致する。下にいる人々も「民衆の面前でinconspetto del popolo」と書簡の中で言及される民衆であると考えられる。このようにスキファノイアに描かれた場面は,正確にはヴァレーゼの示唆したフェッラーラ公爵位授与の式典ではなく,書簡の述べる翌日の扉の上での金の薔薇の再授与の場面を表していると考えられるのである。残念ながら壁画では中央部分が大きく剥落しているため確認することが出来ないが,「金の薔薇rosad'oro」と-6 -

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