鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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注雲門山石窟と造像様式の印象を異にする理由は,馳山石窟は北周時代から造営が始まっており,前代の様式を継ぐ造仏エが完成させた石窟だからであろう。一方で雲門山石窟の開竪は隋代,新たな試みをした造仏エが造営した結果,以上に述べてきたような様式が生み出されたのである。この共存というところに,中国彫刻史の研究を複雑にしているものがあるが,これらの問題は今後の研究課題としたい。(1) 鎌田茂雄「新大乗経典の伝米と入竺求法僧の活躍」(『中国仏教史』第三巻東京大学出版会1984年)鎌田氏によると,仏陀賊陀羅は危険な陸路を避けて海路を選んだと説明されている。り」(『象徴図像研究』V1991年),岡田健「仏教彫刻における朝鮮半島と中国・山東半島の関係」(『日韓両国に所在する韓国仏教美術の共同研究・報告書』奈良国立博物館1993年),土居淑子,杉原た<哉,北進一「山東省仏蹟調査概報」(『象徴図像研究』VII1993年),同上「山東省仏蹟調査概報ーその2」(『象徴図像研究』VIII1994年),大西修也「韓国半珈思惟像の成立と尊格について一編年に関する鄭證京批判」(『仏教芸術』2081993年),村田靖子「仏像の嬰裳の特異な衣文について一飛鳥仏の源流を求めて(『仏教芸術』2161994年),北進一「山東省仏蹟調査概報その3ー特に石窟造像における独自性,西方性と東方への影響について」(『象徴図像研究』IX1995年),岡田健「山東歴城黄石崖造像」(『美術研究』3661997年)などがある。(6) 隋様式について論じたものには,主に松原三郎氏の論考がある。松原三郎「隋造像様式成立考ー特に北周廃仏と関連して一」(『美術研究』288(2) 『大正蔵』51866頁b(3) 森克己「遣唐使の全貌」(『遣唐使』至文堂1955年)(4) 毛利久「三国彫刻と飛鳥彫刻」(『仏像東漸』法蔵館1983年),北進一「山東だよ(5) 水野清一「飛鳥白鳳仏の系譜」(『仏教芸術』41949年)1973年),「隋造像様式成立の一考察一石像如来立像の場合ー」(『仏教芸術』2081993年)(7) 関野貞,常盤大定『支那仏教史蹟』I(仏教史蹟研究会1925年)(8) Osvald Siren. Chinese Sculputure 1925年-152-

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