鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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2-2. 1970年代以降の展開:ジャンルの拡大と地方分権化1970年に,展覧会『美術と建築:1パーセント政策の決算と諸問題』(《Artet ar-chitecture, bilan et problemes du 1%》)がパリで開かれた。この展覧会は,これ1972年,文部省は1パーセント制度の適用を建築物近隣の敷地内環境全体へ拡張までの1パーセント政策を総括し将来の展望を示した点で70年代に向けて一つの時代を画するものとなった。そしてこの70年代に,1パーセント政策のジャンルが拡大し,新都市やラ・デファンスなどの独自の造形計画にも1パーセント制度が援用されるようになるなど,1パーセント制度は新たな展開を見せる。し,また,同年,1パーセント制度の対象ジャンルを彫刻,絵画からセラミック,モザイク,タピスリー,鉄細工,床装飾,ステンドグラスなどへと拡大を図った。1975年には,文化省が都市全体を視野にいれて教育施設周辺地帯の公共空間への芸術的参画を試みるようになったほか,1978年にはパリで展覧会『芸術と都市:生活の中の芸術』(《L'artet la ville : Art dans la vie》)が開かれて1パーセント政策の都市環境への適用の成果が検証されるなど,70年代の後半になって芸術作品の公共空間への進出に関心が高まったことが伺われる。教育施設からはじまった1パーセント政策の適用は,1981年以降,文部省や文化省ばかりでなく政府の資金によって建設される公共施設を所管する15の省に拡張されるが,同じ頃,より大きな変動が1パーセント政策を見舞うことになる。1982年の地方分権化法の発足がそれである。文部省は小・中・高校の建設の権限をそれぞれコミューン・県・州に委譲,文化省は中央貸出図書館と古文書館を県に委譲。これにともなって1パーセント政策の実施主体も国から地方へと移った(注8)。そして,国の補助金を受けるすべての文化,スポーツ,レジャー施設は,1パーセント方式で芸術作品を制作する対象となる。そしてこの義務は,実際には,教育・文化以外の地方公共施設,たとえば市庁舎や行政官庁,歩行者ゾーン,都市整備などに拡張され得るとされた。この地方分権化は,造形芸術計画の決定過程において国がなお指導力を保っていたとはいえ,上からの一元的な1パーセント制度の確実性をもはや期待できなくなったことを意味していた。これにかわるものとして打ち出されたのが1983年の文化省の「コマンド・ピュブリク・ナシオナル」による国家的なパトロナージュの新しい枠組みの創設である。しかしながら,1パーセント政策の改革は続く。1993年には,地方の選定委員会の-160-

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