鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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4.今後の研究課題下のようなものがある。マルヌ・ラ・ヴァレのニシム・メルカドによるパブロ・ピカソ広場周辺の計画。これはエルヴァン・パトカイ,都市計画家ジャン・ジャック・ヴィレイらとの協同による。サン・カンタン・アン・イヴリンでのクロード・ヴィゾー作クドレー広場の噴水は1パーセント予算の統合使用とEPA(開発公社)の補助金によるもの。エヴリーのジャン・アマド「遊歩道のための泉」は新都市が公共空間デザインのために充当する1パーセント予算によるもの。イル・ダボーのジェラール・サンジェによるサン・ボネ高校のための「イル・ダボーヘの道」(リセに通じる歩行者通路と一体になったバス待合所として機能する橋脚)は国=文部省の学校建築のためルヌ・ラ・ヴァレのピォトル・コワルスキーの発光環境作品はリセの1パーセント予算と市情報センターの1パーセント予算の統合による。一方,同じ新都市の造形芸術計画でも1パーセント枠外のものも多数ある。マルヌ・ラ・ヴァレのデカルト地区にあるピォトル・コワルスキー「地軸」は文化省のコマンド・ピュブリクの典型例である。セルジ・ポントワーズのダニ・カラヴァン「大都市軸」はセルジ・ポントワーズ開発公社(EPA)が施主だが,財源は文化省,都市計画省,省間新都市委員会,州議会,ヴァル・ドワーズ産業グループ,ュニシス・フランス,新都市開発組合,新都市中央グループ事務局,開発公社など実に多くのパトロナージュによっている。ちなみに,パリ市内の大規模プロジェクトでは,ベルシーのオムニ・スポーツ宮殿前のジェラール・サンジェ「キャニオノストラット(大峡谷=水=層)」は1パーセント制度によるもの,パレ・ロワイヤルのダニエル・ビュレン「二つの大地」は文化省のコマンド・ピュブリクによっている。以上を約言すれば,1970年代以降,フランスの公共芸術においては次のような変化が複合して進行してきたことがわかる。すなわち,1パーセント制度単独から財源の複数化へ,建築装飾(decoration)から都市の公共空間への直接関与(intervention)ヘ,アーチストの建築家への従属から都市計画家とのコラボレーションヘ,中央政府主導から地方自治体の独自性尊重へ,ボーザールの伝統(建築装飾としての彫刻・壁画)から現代的な空間創造型の表現へ,という諸変化である。新都市の造形芸術計画はこうした変化と軌を一にして推進され,またその諸変化の大きな動因ともなってきの1パーセント予算とイル・ダボー開発公杜などの予算の統合によるものである。マ-162-

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