(1) 流派の大別2 『平安人物志』の画家概観(2) 順位の問題ここまで調べたものをもとに,『平安人物志』に登場する画家の全体的な見通しをまとめてみよう。人名録の中には『皇都書画人名録』に見られる,「誰々先生門人」のような師系を示す情報は含まれていない。従ってこれだけでは判断できないが,他の資料を参照したうえでおおまかに分けると,禁裏御用絵師としての狩野派・土佐派,広義の円山四条派,文人画の3つになる。このほか初期の版には長崎派と見られる画家も散見する。今日京都の江戸時代中・後期の画家として知られる者は浮世絵師を除けばほぼ出尽くしていると思われる。当時の京都画壇のほぼ全体を見渡していると言ってよいだろう。ただし,天明から文化にかけて約30年間が空くため,その間に活躍して亡くなった画家は漏れている。円山派の渡辺南岳や,鶴沢派の鶴沢探索などがその例である。本書の凡例では人物名の掲載順は,必ずしもその人の力量を評価したものではないと釘を差している。確かにこれは番付ではないので,厳密なランキングとはほど遠いものである。しかし「惟だこれを聞き識る前後のみ」を言っているように,画家の名声が高ければ初めの方に来るというのは自然の理である。また,親子や一門の内での序列も世間に明白であればそれを無視するわけには行かない。そのため,掲出順は画家の評価の大まかな指標にはなる。別添資料の一覧表ではそれぞれの画家が各版で何番目に登場しているかを記している。年と共に順位を上げるケースは多いが,下げるものが少ないことからも,この順位が機能していることが言えるだろう。ただし,一つ注意すべきは,流派によって順位の評価を変えなければならないことである。土佐家と鶴沢家は文化十年版から登場し,以後すべて画の部の先頭を独占している。これはもちろん絵の技量や世評によるものではなく,御用絵師としての格を表している。また,文人画については版によって扱いが変わっている。前期三版では円山四条派らと混ざっていたが,文化十年版では上巻に集められ,中巻にまとめられたその他の「画」より先に登場している。文政五年以降は「画」の部の後ろにやはり「文人画」という項目をたててまとめられている。さらに文人画の項の初めには「巧拙を以て次第を分るに非ず」(文政五年版)とダメを押している。従って文人画に関-167-
元のページ ../index.html#177