注(1) 『角川絵巻物総覧』(1995,角川書店)250-4, 280-3頁参照。(2) 拙稿「絵巻物の類本制作ー天神縁起絵丙類の生成を中心に一」(1990,国際交流(3) 『看聞日記』永享十年(1438)五月十六日条で転写制作中の源氏絵に傍注を施し(4) 羽曳野市史文化財編別冊『絵巻物集』収載の神山登氏解説130頁参照。(5) 『実隆公記』享禄五年(1532)一月二十一日条。(6) 畑麗「東照宮縁起絵巻の成立一狩野探幽の大和絵制作」(1984,『国華』1072)(7) 梅津次郎「天神縁起絵巻一津田本と光信本一」(1942,『美術研究』126),こののち,元禄十四年(1701)五月に「南都元興寺別院極楽坊縁起」と首題のある絵巻二巻(注10)が作られた。この絵詞を清書した東大寺長吏の安井門跡道恕は,その下巻奥書で,旧来の縁起が紙魚によって損なわれ,よって新本を元興寺尊覚の需めに応じて作成したことを記す。この道恕は享保元年(1716)の薬師寺縁起絵四巻にも同じく「旧本の套損」をその奥書に筆記しているが,もはやそれら旧本の伝存については確かめ得ない。極楽坊縁起絵は上巻十段,下巻九段に編成し,智光の行状から曼陀羅の感得へと展開していく。その絵画は明晰だが柔らかく,画面の構成も整理され,的確に組成されている。当絵画の筆者は不詳だが,道恕に近い筋の画家の筆によるのだろう。この絵巻にも智光の嫉妬の相手として行基の行状が描かれる。また,行基伝絵に描かれる智光の地獄での試練がこの絵巻にも描かれる。これら二種の絵巻での題材の交差で,相互に図様を転用した形跡はない。だが,絵巻の絵画に習熟がみえる。近世に入ったのちの絵巻で,それ以前に旧本を有した作品の調査はほとんど進展していない。格別に整った作品だけを求めているのではない。復古的な作品だけでもない。いつも説話内容に即した先形象を詮索できる作品でもない。だが,しかし,近世の絵巻に,たとえば智光の時代を描いた画面に諸人物が近世の衣服を着けて戸惑うこともなく登場し,しかもそのことを指摘するのが野暮でもあるような,そうした絵画が知られる。しかも,前触れなく顕れる。別に稿を草したくおもう。美術史研究会第八回シンポジアム「説話美術」所収)て,「オソクツ」と記している。当絵巻の主題に恋愛諄を選択・抜粋して二巻に編成した源氏物語絵を謂うのであろうか。--179 -
元のページ ../index.html#189