鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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に置かなかったと考える方が不自然である。しかしそれはすべて,乗り越え,反逆するための悪しき先例であったのではなく,着想源として参照するための出発点として彼の前に存在していたのである。彼の「革新」を強調しすぎるとこうした点を見過ごしてしまうであろう。クリストフォロ・ロンカッリ通称ポマランチョ(1552-1626)(注12)は,ちょうどカラヴァッジオがローマに米た頃アカデミアの総裁となり,世紀のかわりめに旺盛な活動を展開した画家である(注13)。「バリオーネ裁判」においてカラヴァッジオが優れた画家として言及した画家のひとりであり,カラヴァッジオのバトロンであったヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニの美術顧問としてその欧州旅行にも同行した人物でもあったため,カラヴァッジオとは特に近い関係にあったと思われる。彼は,ムツィアーノより少し前,1585年から86年にかけてやはりサンタ・マリア・イン・アラチェーリ聖堂のピエタ礼拝堂の装飾に従事し,キリスト受難伝の連作を制作したが,中でも「キリストの埋葬」〔図6〕は,現在ヴァチカンにあるカラヴァッジオの同主題の作品との関係が指摘されてきた。右端で悲嘆のあまり両手を高く挙げて天を仰ぐマリアを導入した点や(注14),キリストの遺体を安置するための大きな「終油の石」を描いた点など(注15),両者のいくつかの図像的共通性はカラヴァッジオがこの作品を研究したことをうかがわせる。カラヴァッジオの「キリストの埋葬」は,1603年にオラトリオ会の本山キエーザ・ヌオーヴァ(サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ聖堂)のために描かれ,設置されたものだが,この聖堂のフィリッポ・ネリ礼拝堂には,1596年から99年にかけてロンカッリが「フィリッポ・ネリの生涯」の連作を描いている。カラヴァッジオが確実に見知っているこの連作のうち,「穴に落ちた助修士フィリッポを助ける天使」〔図7〕は,その劇的な明暗表現がカラヴァッジオ派を先取りしているようだが,何よりも,右腕を下ろし,左腕を水平に上げてネリのもとに舞い下りる天使の表現が,カラヴァッジオの「慈悲の七つの行い」〔図8〕の画面上方にそのまま登場しているのが注目される。上方から舞い下りる天使は,形態だけでなく,半分を陰影に隠した顔や特に水平に伸ばした左腕などの明暗表現まで,ロンカッリの作品に酷似している。ナポリに移って間もない1607年に描かれた「慈悲の七つの行い」に,カラヴァッジオはロンカッリの描いた天使をかなり正確な記憶によっ2 ロンカッリ-184-

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