鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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ズや形態だけでなく,主題の上でもカラヴァッジオ作品はダルピーノ作品と密接に結びついている。つまり,ダルピーノの作品では,この人物は聖ラウレンティウスの施しを待っている貧者あるいは乞食として描写されており,一方カラヴァッジオの作品でも,七つの慈善事業のひとつ,「貧者に衣を着せる」の例示として,あるいは自らのマントを乞食に与える聖マウリティヌスのエピソードとしてこの人物が挿入されているのであり(注20),両者の役割はほぼ等しいといってよい。つまりカラヴァッジオは,「慈悲の七つの行い」を構想する際,ダルピーノによる類似した主題の作品を想起し,そこに登場する裸の乞食を借用したのである。この人物は,やはり上述の「生誕」〔図9〕の聖ヨセフにも応用されたと考えられるが,このヨセフについてはダルピーノの素描にほぼ同一の人物像があることを以前指摘したことがある(注21)。いずれにしても,ロンカッリの場合と同じく,「慈悲の七つの行い」に直接的な人物像の借用が見られ,「生誕」にそれをより発展させた形の人物像が登場しているのがわかる。「貧者と病人の中の聖ラウレンティウス」はカラヴァッジオがダルピーノ工房に入る少し前の作品だが,一時的にせよダルピーノ工房で修行したカラヴァッジオは,ダルピーノの構想法や制作の手順などを習得しており,そのため他の作家の作品よりダルピーノの作品を印象深く受け止めていたに違いない。カラヴァッジオはかつての師にして画壇の頂点に君臨する人物に反逆し,超克しようとすると同時に,時にはそこに着想源を求めたのである。「革新者」カラヴァッジオとともにローマ画壇に衝撃を与えた「改革者」アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)は,しばしばカラヴァッジオと比較されてきた。特にアンニーバレを初めとするボローニャ派を擁護したアグッキや17世紀末のベローリ以降,理想的な美を求めた古典主義者としてアンニーバレが賞揚され,デコールムを無視して粗野な自然に従った自然主義者としてカラヴァッジオが非難されるという批評が確立し,アカデミズムによって温存されてきた。クールベの写実主義以後,あるいはロジャー・フライのモダニズム批評にいたって,前者は保守反動,あるいは悪しき折衷主義の権化,後者は伝統に反逆した近代的な革新者というように,両者の価値が逆転するものの,両者を対抗的にとらえる図式は変わらなかった(注22)。1925年に上述のフリードレンダーが初めて両者を「反マニエリズム」という共通性のもとに捉4 アンニーバレ・カラッチ-186-

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