鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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とはできるであろうか。かつて指摘されたのは,カラヴァッジオの「エジプト逃避途上の休息」の天使〔図12〕とアンニーバレの「分かれ道のヘラクレス」の画面右の悪徳の擬人像〔図13〕との類似である。両作品とも1595年から97年あたりに制{乍され,いずれが先行するのか不明であり,直接の影響関係があるのか,あるとすればどちらが影響を与えたのかについても説が分かれている(注31)。後ろ向きのこの人物像は,ティントレットの「聖母の神殿奉献」(ヴェネチア,マドンナ・デル・オルト聖堂)にも登場するが,おそらくこれらには共通の源泉があったのだろう。それは,おそらくラファエロ原作ライモンディ刻の版画「パリスの審判」で衣をまとおうとするミネルヴァの後ろ姿であると思われる(注32)。より具体的な影響関係があると思われるのは,アンニーバレの「聖ロクスの施し」〔図14〕である。1594年から95年頃に描かれたこの作品はアンニーバレのボローニャ時代の集大成といわれ,また偉大なバロックの群集構成を示す最初の作品である(マホン)ともいわれる。画面右上の聖ロクスに向かって対角線上に群集が積み重なるように構成されており,随所に市井の人間観察に基づいたと思しき自然主義的な描写が見られる。1607年にカラヴァッジオがナポリで描いた「ロザリオの聖母」〔図15〕にも,聖ドミニクスの持つロザリオに向かって人々が殺到する情景が見られ,このダイナミックで力強い集中する手の表現にアンニーバレの作品を研究した痕跡が認められるようである。アンニーバレの作品は大きな評判を呼び,グイド・レーニらによって早くから何種類ものコピーや版画が作られたため(注33),カラヴァッジオがそれらのうちひとつを目にすることは十分ありえたであろう。しかも,両作品とも画面右端に大きなドリス式円柱が見られるのも偶然ではないであろう(注34)。アンニーバレの「聖ロクス」には,右上のロクスに向って収倣する対角線上の動きが見られるのに対し,カラヴァッジオの「ロザリオの聖母」は,画面右下から左上の聖ドミニクスに向い,そこから右上に折れて中央上部の聖母子に向うという「く」の字の動きが見られる。アンニーバレの力強い群集構成を学んだカラヴァッジオは,ヴェネチア派的な聖会話のスタティックな祭壇画に,一個所に集中する手による大胆な動きを導入したのである(注35)。また,アンニーバレの作品では,異なる方向を向く多くの人物群が見事にまとめあげられているが,密集し多方向を向く人物群の処理について,カラヴァッジオはアンニーバレに負うところがあったのではなかろうか。「ロザリオの聖母」とほぼ同時期に描かれた「慈悲の七つの行い」〔図11〕には,カラヴァッジオが-188-

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