(35) 集中する手の表現は,たとえばロレンツォ・ロットの「聖アントニウスの施し」op. cit., p. 181)。sky, Herkules am Scheidewege, Leipzig-Berlin, 1930, p. 126, n. 1 ; J. Hess, "The Chronology of the Contarelli Chapel", Burlington Magazine, XC III, p. 198.フォスは両者の直接の影轡関係は希薄だと考えているが,ヘスはカcella Brascaglia, Bologna, 1971, p. 265 ; Posner, op. cit. II, p_ 37.ま1986, pp. 65-68には7種類の版画が掲載されている。(1542年,ヴェネチア,サン・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂)にも見られるaissance Painting, London, 1994, pp. 99-110, fig. 45-52. 16世紀における病人の表象については,cat.mostra, Scienza e miracoli nell'arte del'600, alle origini delta medicina moderna, a cura di S. Rossi, Milano, 1998を参照。は,カラヴァッジオの「エマウスの夕食」や「聖母の死」に見られる色相にアンニーバレの影聾があるとしている。(31) H. Voss, Die Malerei des Barack in Rom, Berlin, 1925, p. 493 ; E. Panof-ラヴァッジオがアンニーバレから影響を受けたと論じている。なお,ヘスはカラヴァッジオのコンタレッリ礼拝堂の壁画に,アンニーバレのガレリア・ファルネーゼの天井画の影響を見ているが,その後コンタレッリ礼拝堂壁画の制作時期か明らかになり,アンニーバレのガレリアよりも早い時期の作品も確認されたため,この考えは現在では否定されなければならない。(32)拙稿「分かれ道のヘラクレス」『バロックの闇と光(名画への旅11)』講談杜,1993年,41,45頁。(33) C. C. Malvasia, Felsina pittrice : vite dei pittori bolognesi, a cura di Mar-た,Ecolefrancaise de Rome, Annibale Carracci e i suoi incisori, Roma, (34) ヒッバードは「ロザリオの聖母」の構成やドリス式円柱に,やはりアンニーバレのドレスデンにある「聖マタイの聖母」との関連を指摘している(Hibbard,が,アンニーバレがこの種の作品に想を得たこともありうるであろう。16世紀後半にヴェネチア派で流行した貧者あるいは施しの表現については次の論文を参照。T.Nichols, "Tintoretto'Poverty", New Interpretations of Venetian Ren--194-
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