(2) 同時代の寄進者像との比較(3) 靴職人による窓の献呈図の問題点の分野における論文(文献1)は,13世紀当時の文書資料による傍証を伴うことなく,これらの職人の表現がシャルトルに同業組合が存在した証拠であると主張する。1926年に発表されたイーヴ・ドゥラポルトによる基本的モノグラフ(文献4)では,逆にこのアクロックの論文を根拠として,シャルトルの同業組合が窓を寄進したと結論している。その後の数多くの概説書やガイドブックばかりでなく,1987年に刊行された受容美学の代表的研究者ヴォルフガング・ケンプによる著作(文献6)ではこの説が重要な前提となっている。1993年刊行のコレット・マネス=ドゥランブルによるモノグラフ(文献10)においても,この説がそのまま継承され,現在では定説化しているといってよい。ただ一つ,同じく1993年に出版されたジェーン・ウェルチ・ウィリアムスによる研究(文献12)だけがこの説を批判し別の解釈を提出している。以上のように,この学説は十分な議論を経ないまま安易に形成され,受け継がれてきた。シャルトルの窓に見られる職人の描写には,窓の寄進を示す意図がうかがわれるだろうか。西洋中世における芸術作品の寄進者像や寄進行為の一般的な表現との比較から,シャルトル大聖堂の職人たちの描写には,次の部分で言及する2例を除き,それが寄進行為の表現であるとするには重要な要素が欠落しているのが分かる。寄進されるものがそこになく,寄進される対象も明らかでない。そもそも職人たちは彼らの仕事を遂行しているだけで,何かを捧げる姿では描写されていない。シャルトルでは,職人や商人のイメージを伴う42の窓のうち,2点だけが例外的にステンド・グラスのミニチュアを捧げる人々を描く。《よきサマリア人の璧え話》の窓と《聖ステパノ伝》の窓だ。これらの窓では,西洋中世美術における伝統的な寄進行為の表現の形式に従い,前者には銘文も添えられている。前者の窓では,左の2つの区画に靴を作る職人たちの仕事の情景を描く〔図3,4〕。右の区画は窓を捧げる人々を表し,「靴職人たちが捧げた」と解釈される銘文がある〔図5〕。この窓では,職人の職種を示す仕事の情景,窓の寄進行為の表現,銘文という3種の情報が揃い,靴職人による窓の寄進を示す意図に疑いを挟む余地はなさそうだ。しかし,ウィリアムスも指摘するように,窓を献呈する人々の服装は靴職人とは異なる階層のもので,これら3種の情報間で内容の一貫性を欠く。後者の窓では,左に靴職人の仕事の様子〔図6,7〕,右に祭壇の上で窓を捧げる人々を描く〔図8〕。注意すべきは,描かれ-200 -
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