(1) ウィリアムスの解釈と問題点3.シャルトルの「寄進者像」の再解釈た職人が先述の窓と同様靴職人であるばかりか,仕事の情景も同じ構成要素を与えられた区画に合わせ並べ替えたに過ぎないということだ(比較:図3と6; 4と7)。また窓を寄進する人々の描写も共通する。そしてこれは銘文を欠く。このように,これら2例に関して寄進行為を示す意図を素直に認めるには,多かれ少なかれ問題がある。また,たとえそうした意図を認めるとしても,ごく限られた数の例外的事例をもとに他のそうではない大多数の窓でも同様であったとする推論の手続きは正当性を欠く。さらに,窓の献呈を表す意図を明瞭に示す画像が一方にありながら,他の窓にはその意図がまったく見られないという違いにより,逆説的だが,他の窓では窓の寄進をイメージ化する意図がなかったということが明らかとなる。(4) 13世紀初頭のシャルトルにおける杜会的条件13世紀初頭のシャルトルに何らかの職業集団が存在し,ステンド・グラスを含めた大聖堂再建の経済的負担が彼らに多かれ少なかれ及んだことは疑いない。ただし,アンドレ・シェドヴィルによるシャルトルの経済史に関する詳細な研究(文献3)が示したように,彼らはステンド・グラスを寄進できるほどの資金力を備えてはいなかった。また,たとえば靴職人は3つの窓に描かれるが,シャルトルの靴職人が3つもの窓を寄進するのは不可能だろう。また,都市の経済的発展が大聖堂の相次ぐ建造を自然に促し,大聖堂の建築活動がさらなる経済的発展を促したというパウル・フランクルに代表されるような幸福な図式は,実はシャルトルのステンド・グラスの職人のイメージを窓の寄進者とする解釈を出発点としたもので,実際は重い経済的負担に反発する市民の暴動がランスなど各地で相次ぎ,シャルトルでも1210年に市民の暴動が発生している。以上のように,シャルトルのステンド・グラスに描かれた職業集団のイメージが窓の寄進者を示すという従来の解釈の根拠は,その表現上の特質の観点からも,杜会的状況の観点からも見いだし得ない。これに代わるものとして,以下の部分では,これらのイメージが,キリスト教の教義的理念の表明と深く関わっているという仮説を提出する。シャルトルのステンド・グラスに描かれた王侯貴族や高位聖職者たちの寄進者像に-201-
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