2.カイロ・エジプト博物館所蔵の葬祭用亜麻布帯で巻かれ,その後,長方形状の大型の亜麻布の中に包み入れられたのである。実用品なので無装飾であった葬祭用亜麻布に,突然新王国時代にテーベ地方で銘文と絵画とが施されるようになったが,その経過は不明とされている。その後,銘・絵入りの葬祭用亜麻布は,使用され続け,ギリシア・ローマ時代には「ファイユームの肖像画」の一部をなす最古のキャンバス画の形をとって柩の代用となる程の発展を見たことを考慮すれば,その起源にさかのぼって制作意図を探り,葬祭儀礼の一端を解明する必要が生ずる。筆者は,起源に関して,新王国時代開始直前の第17王朝末に最古の「死者の書」が帯状の葬祭用亜麻布に記されて出現した点,次に,新王国時代直後の第21王朝治下に再埋葬された新王国時代の諸王,第21王朝治下のテーベの神官王一族や神官団の遺体を包む大型亜麻布にオシリス神などの葬祭神像が描かれるようになった点の2つの事実が解明の手がかりとなると考える。前者の,「死者の書」をミイラの亜麻布に転写する慣習は,葬祭儀礼の重要な発展段階を示している。呪術によってミイラを保護するという,亜麻布に実用を越えた象徴的意味が付加されたことを暗示しているからだ。他方,後者の,ミイラをおおう亜麻布に葬祭神の画像が出現したことは,葬祭儀礼上のみならず美術史上,新たな発展段階に入ったことを示す〔図1■3〕。儀礼上,画像が「死者の書」を代用し,更に画像に添えられた銘文は,描かれた葬祭神がミイラ化された故人の神格化された姿であると伝える。従って美術史上名高い,後代の「ファイユームの肖像画」は,葬祭神になった故人に他ならないのである。このような重要性にもかかわらず,第21王朝時代の銘・絵入りの亜麻布の研究は,殆どなされていない。その理由は,発掘直後にこれらの貴重な資料において,銘文の持つ史料的価値のみが注目され,描かれた画像は簡略に描写されただけで,数点の展示例を除き,大半が保管庫に収蔵された為に研究が困難になってしまったからに違いない。そこで筆者は,第21王朝時代の葬祭神画像のある亜麻布の研究を中心に,その前後の新王国時代からギリシア・ローマ時代に到るまでの絵入りの亜麻布の調査研究と資料収集を行っている。葬祭用亜麻布は,世界各地のエジプト・コレクションに散在している。カイロ・エジプト博物館は,各時代の作例を殆ど全て所蔵しているばかりか,筆者の主要研究テ-215-
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